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雑筆
ざっぴつ |
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作品ID | 3739 |
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著者 | 芥川 竜之介 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」 筑摩書房 1971(昭和46)年6月5日 |
入力者 | 土屋隆 |
校正者 | 松永正敏 |
公開 / 更新 | 2007-07-19 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 22 ページ(500字/頁で計算) |
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竹田
竹田は善き人なり。ロオランなどの評価を学べば、善き画描き以上の人なり。世にあらば知りたき画描き、大雅を除けばこの人だと思ふ。友だち同志なれど、山陽の才子ぶりたるは、竹田より遙に品下れり。山陽が長崎に遊びし時、狭斜の遊あるを疑はれしとて、「家有縞衣待吾返、孤衾如水已三年」など云へる詩を作りしは、聊眉に唾すべきものなれど、竹田が同じく長崎より、「不上酒閣 不買歌鬟償 周文画 筆頭水 墨余山」の詞を寄せたるは、恐らく真情を吐露せしなるべし。竹田は詩書画三絶を称せられしも、和歌などは巧ならず。画道にて悟入せし所も、三十一文字の上には一向利き目がないやうなり。その外香や茶にも通ぜし由なれど、その道の事は知らざれば、何ともわれは定め難し。面白きは竹田が茸の画を作りし時、頼みし男仏頂面をなしたるに、竹田「わが苦心を見給へ」とて、水に浸せし椎茸を大籠に一杯見せたれば、その男感歎してやみしと云ふ逸話なり。竹田が刻意励精はさる事ながら、俗人を感心させるには、かう云ふ事にまさるものなし。大家の苦心談などと云はるる中、人の悪き名人が、凡下の徒を翻弄する為に仮作したものも少くあるまい。山陽などはどうもやりさうなり。竹田になるとそんな悪戯気は、嘘にもあつたとは思はれず。返す返すも竹田は善き人なり。「田能村竹田」と云ふ書を見たら、前より此の人が好きになつた。この書は著者大島支郎氏、売る所は豊後国大分の本屋忠文堂(七月二十日)
奇聞
大阪の或る工場へ出入する辨当屋の小娘あり。職工の一人、その小娘の頬を舐めたるに、忽ち発狂したる由。
亜米利加の何処かの海岸なり。海水浴の仕度をしてゐる女、着物を泥棒に盗まれ、一日近くも脱衣場から出る事出来ず。その後泥棒はつかまりしが、罪名は女の羞恥心を利用したる不法檻禁罪なりし由。
電車の中で老婦人に足を踏まれし男、忌々しければ向うの足を踏み返したるに、その老婦人忽ち演説を始めて曰、「皆さん。この人は唯今私が誤まつて足を踏んだのに、今度はわざと私の足を踏みました。云々」と。踏み返した男、とうとう閉口してあやまりし由。その老婦人は矢島楫子女史か何かの子分ならん。
世の中には嘘のやうな話、存外あるものなり。皆小穴一遊亭に聞いた。(七月二十三日)
芭蕉
又猿簔を読む。芭蕉と去来と凡兆との連句の中には、波瀾老成の所多し。就中こんな所は、何とも云へぬ心もちにさせる。
ゆかみて蓋のあはぬ半櫃 兆
草庵に暫く居ては打やふり 蕉
いのち嬉しき撰集のさた 来
芭蕉が「草庵に暫く居ては打やふり」と付けたる付け方、徳山の棒が空に閃くやうにして、息もつまるばかりなり。どこからこんな句を拈して来るか、恐しと云ふ外なし。この鋭さの前には凡兆と雖も頭が上るかどうか。
凡兆と云へば下の如き所あり。
昼ね…