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澄江堂雑記
ちょうこうどうざっき |
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作品ID | 3745 |
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著者 | 芥川 竜之介 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」 筑摩書房 1971(昭和46)年6月5日 |
入力者 | 土屋隆 |
校正者 | 松永正敏 |
公開 / 更新 | 2007-07-25 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 33 ページ(500字/頁で計算) |
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一 大雅の画
僕は日頃大雅の画を欲しいと思つてゐる。しかしそれは大雅でさへあれば、金を惜まないと云ふのではない。まあせいぜい五十円位の大雅を一幅得たいのである。
大雅は偉い画描きである。昔、高久靄崖は一文無しの窮境にあつても、一幅の大雅だけは手離さなかつた。ああ云ふ英霊漢の筆に成つた画は、何百円と雖も高い事はない。それを五十円に値切りたいのは、僕に余財のない悲しさである。しかし大雅の画品を思へば、たとへば五百万円を投ずるのも、僕のやうに五十円を投ずるのも、安いと云ふ点では同じかも知れぬ。芸術品の価値も小切手や紙幣に換算出来ると考へるのは、度し難い俗物ばかりだからである。
Samuel Butler の書いた物によると、彼は日頃「出来の好い、ちやんと保存された、四十シリング位のレムブラント」を欲しがつてゐた。処が実際二度までも莫迦に安いレムブラントに遭遇した。一度は一磅と云ふ価の為に買はなかつたが、二度目には友人の Gogin に諮つた上、とうとうそれを手に入れる事が出来た。その画はどう云ふ画だつたか、どの位の金を払つたか、それはどちらも明らかではない。が、買つた時は千八百八十七年、買つた場所はストランド(ロンドン)の或質店の店さきである。
かう云ふ先例もあつて見ると、五十円の大雅を得んとするのは、必しも不可能事ではないかも知れぬ。何処か寂しい町の古道具屋の店に、たつた一幅売り残された、九霞山樵の水墨山水――僕は時時退屈すると弥勒の出世でも待つもののやうに、こんな空想にさへ耽る事がある。
二 にきび
昔「羅生門」と云ふ小説を書いた時、主人公の下人の頬には、大きい面皰のある由を書いた。当時は王朝時代の人間にも、面皰のない事はあるまいと云ふ、謙遜すれば当推量に拠つたのであるが、その後左経記に二君とあり、二君又は二禁なるものは今日の面皰である事を知つた。二君等は勿論当て字である。尤もかう云ふ発見は、僕自身に興味がある程、傍人には面白くも何ともあるまい。
三 将軍
官憲は僕の「将軍」と云ふ小説に、何行も抹殺を施した。処が今日の新聞を見ると生活に窮した廃兵たちは、「隊長殿にだまされた閣下連の踏台」とか、「後顧するなと大うそつかれ」とか、種種のポスタアをぶら下げながら、東京街頭を歩いたさうである。廃兵そのものを抹殺する事は、官憲の力にも覚束ないらしい。
又官憲は今後と雖も、「○○の○○に○○の念を失はしむる」物は、発売禁止を行ふさうである。○○の念は恋愛と同様、虚偽の上に立つ事の出来るものではない。虚偽とは過去の真理であり、今は通用せぬ藩札の類である。官憲は虚偽を強ひながら、○○の念を失ふなと云ふ。それは藩札をつきつけながら、金貨に換へろと云ふのと変りはない。
無邪気なるものは官憲である。
四 毛生え薬
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