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饒舌
じょうぜつ
作品ID3801
著者芥川 竜之介
文字遣い新字旧仮名
底本 「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」 筑摩書房
1971(昭和46)年6月5日
入力者土屋隆
校正者松永正敏
公開 / 更新2007-07-22 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 始皇帝がどう思つたか、本を皆焼いてしまつたので、神田の古本屋が職を失つたと新聞に出てゐるから、ひどい事をしたもんだと思つて、その本の焼けあとを見に丸ノ内へ行かうとすると、銀座尾張町の四つ角で、交番の前に人が山のやうにたかつてゐる。そこで後から背のびをして覗いて見ると、支那人の婆さんが一人巡査の前でおいおい云ひながら泣いてゐた。尤も支那人と云つても、今の支那人ではない。平福百穂さんの予譲の画からぬけ出したやうな、古雅な服装をした婆さんである。巡査はいろいろ説諭をしてゐるが、婆さんの耳には少しもそれがはいらないらしい。何しろあんまり婆さんの泣き方が猛烈だから、どうしたんだらうと思つて見てゐると、側にゐたどこかのメツセンヂア・ボイが二人でこんな事を話してゐる。
「あれは丸善の金どんのお母さんだよ。」
「どうして又金どんのお母さんがあんなに泣いてゐるんだらう。」
「なにね、始皇帝が今日東京中の学者をみんな日比谷公園の池へ抛りこんで、生埋めにしちまつたらう。それで金どんもやつぱり生埋めにされちまつたもんだから、それであんなにお母さんが泣いてゐるのさ。」
「だつて金どんは学者でも何でもないぢやないか。」
「学者ぢやないけれど、金どんはあんまり生物識を振まはすから、丸善ぢや学者つて綽名がついてゐるんだよ。だから警察でも大学教授や何かの同類だと思つて、生埋めにしてしまつたのさ。」
 するとその隣の、小倉の袴をはいた書生が、
「怪しからんな。名の為に実を顧みないに至つては閥族の横暴も極れりだ。」と憤慨した。
 自分もそれは乱暴だと思つたから、
「実に怪しからんですな。」と書生の憤慨に賛成の意を表した。書生は自分の賛成を得て大に知己を得たやうな気がしたのだらう。彼は自分の方をふりむくと、滔々としてこんな事を辯じ出した。
「万事この調子だから驚くです。かう云ふ事には最も理解がある可き文壇でさへ、イズムで人間を律しようとするんですからな。一度新技巧派と云ふ名が出来ると、その名をどこまでも人に押しかぶせて、それで胡麻をする時は胡麻をするし、退治する時は退治しようとするんですからな。我々青年はまづこの弊風を打破しなければいかんです。僕はこの間博浪沙で始皇帝の車に鉄椎を落させました。不幸にしてそれは失敗しましたが、まだ壮心が衰へた訳ではありません。」
 かう云つて書生は、群集を麾きながら、
「諸君、憲政の擁護の為にあの交番を破壊しようではありませんか。」と絶叫した。
 それに応じてどこからか石が一つ斜に空を切りながら、かちやりと音を立てて交番の窓硝子へ穴をあけた。その音で気がつくと、自分は依然としてカツフエ・パウリスタのテエブルに坐つてゐる。かちやりと云つたのは、珈琲の匙が手から皿の上へ落ちた音らしい。自分は黒いモオニングを着た容貌魁梧な紳士と向ひ合つた儘、眼を明いて夢を見てゐたのであ…

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