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![]() こまちのしゃくやく |
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作品ID | 4061 |
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著者 | 岡本 かの子 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「花の名随筆6 六月の花」 作品社 1999(平成11)年5月10日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 林幸雄 |
公開 / 更新 | 2002-05-23 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 11 ページ(500字/頁で計算) |
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根はかち/\の石のやうに朽ち固つてゐながら幹からは新枝を出し、食べたいやうな柔かい切れ込みのある葉は萌黄色のへりにうす紅をさしてゐた。
枝さきに一ぱいに蕾をつけてゐる中に、半開から八分咲きの輪も混つてゐた。その花は媚びた唇のやうな紫がかつた赤い色をしてゐた。一歩誤れば嫉妬の赤黒い血に溶け滴りさうな濃艶なところで危く八重咲きの乱れ咲きに咲き止まつてゐた。
牡丹の大株にも見紛ふ、この芍薬は周囲の平板な自然とは、まるで調子が違つてゐて、由緒あり気な妖麗な円光を昼の光の中に幻出しつゝ浮世離れて咲いてゐた。
国史国文学の研究家であり、好事家である村瀬君助が小野の小町の手植ゑと言ひ伝へられるこの芍薬の傍へ来たときにはかなり疲れて汗を垂らしてゐた。しかし杖を立てゝ美しい花をぢつと眺め入ると、君助の深く閉した憂愁の顔色がうす明るんで
「おゝ、全く小町が植ゑたものゝやうだ」
といった。
彼は四五日前から横堀駅に泊りがけで、この界隈に在る、小町の父親小野良実の居城の跡の桐木田やら小町の母親の実家町田氏の居館の跡の泉沢やら、およそ小町に因みのある雄勝郡内の古蹟を踏査してみた。最後にこの芍薬だけを残して置いた。これは史実のためといふよりも詩的な感慨に耽るべきものである。
歴史家の立場よりは軽蔑し、好事家の立場からは楽しみになる材料である。さういふ意味から見物は後廻しとなつた。
北国の六月は晩春の物悩ましさと初夏の爽かさとをこき混ぜた陽気である。梨の花も桃も桜も一時に咲く。冬中、寒さに閉ぢ籠められてゐた天地の情感が時至つて迸り出るのだが鬱屈の癖がついてゐるかして容易には天地の情感が開き切らない。開けばじつくり人に迫る。空の紺青にしても野山の緑にしても、百花の爛漫にしても、くゞめた味の深さがあつて濃情である。真昼の虻の羽音一つにさへ蜜の香が籠つてゐた。
芍薬の咲いてゐる所は小さい神祠の境内になつてゐた。庭は一面に荒れ寂れて垣なども型ばかり、地続きの田圃に働く田植の群も見渡せる。呟くやうな田植唄が聞えて来た。
君助はやつと気がついたやうに芍薬の花から眼を離し、空やあたりの景色を見廻した。彼の顔は、はじめて季節の好意を無条件で受け容れる寛ぎを示してゐた。
彼は妻に悩んだ男であつた。妻の方からいへば妻を悩ました夫で彼はあつたかも知れない。
多情多感で天才型のこの学者は魅惑を覚えるものを何でも溺愛する性質であつた。対象に向つて恋愛に近い気持ちで突き進むのであつた。
「魂を吸ひ取るやうな青白い肌色をなしてゐる」かういつて青磁の鉢に凝つたことがある。
「いのちが溶けて流れるやうな絵だ」かういつて浮世絵の蒐集にかかつたことがある。
時には古雛を買ひ集めてみたり、時には筆矢立を漁り歩いたり、奇抜だつたのは昔の千両箱の蒐集であつた。これはよく絵に描いてある見事なものとは反対に、…