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小学生のとき与へられた教訓
しょうがくせいのときあたえられたきょうくん
作品ID4063
著者岡本 かの子
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆 別巻67 子供」 作品社
1996(平成8)年9月25日
入力者門田裕志
校正者林幸雄
公開 / 更新2002-12-10 / 2014-09-17
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 或る晴れた秋の日、尋常科の三年生であつた私は学校の運動場に高く立つてゐる校旗棒を両手で握つて身をそらし、頭を後へ下げて、丁度逆立したやうになつて空を眺めてみた。すると青空が自分の眼の下に在るやうに見え、まるで、海を覗いてゐる気がした。ところどころに浮んでゐる白雲を海上の泡とも思ふのであつた。面白い事は鳥が逆さになつて飛んで行く、二羽も三羽も白い腹を見せて、ゆつくり飛んで行く。私は飽かずに眺め入つた。
 突然、「そんな事をしてゐてはいけません。第一体に毒ですし、又、そばを駈け廻つてゐるものがぶつつかつたら、両方共に怪我をしますよ。どうしてそんな事をするのです。」と先生に叱られた。私はまごついて遂、「何子さんも誰さんも、みんな、斯うやると面白いから、あんたもやつて見なさいと、言はれましたので……」と言ひ訳をしたのであつた。すると先生は「誰にすゝめられても悪い事をすればいけません。他人のせいにして自分のいけない事を言ひ訳しやうとするのは、大変卑怯な事です」と更にたしなめられた。
 私は子供心にも先生から卑怯だと言はれた事を非常に恥かしく感じ、以後、他人の悪い事を見ても告げ口する事が出来ず、まして自分の事を他人のせいにしたりする事が出来なくなつた。それは、初めのうちは、告げ口し度い気持が起つても愈々口に出さうとすると、嘗て先生に卑怯だとたしなめられた事が頭に浮んで私の口を引き締めてしまふのであつたが、それが段々進んで精神学的に意志制止症と言はれる程までになると、もう先生に卑怯だと言はれた事を思ひ出さずとも自然と口をつむんでしまふといふ極端な癖が付いてしまつた。
 少女時代、他人の非難とか自分の事に就ての言ひ訳などを除いて、どんな話題があるであらうか。これ等の事を絶対にしやべれないとしたら少女の話は仲々スムーズに進むものではない。従つて私は無口で鬱屈した、他人から見て幾分重苦しい少女になつてしまつた。丸い眼をぱち/\させながら無口でゐる私に「蛙」と言ふ仇名をさへ付けた友がゐた。
 小学校から女学校へかけて、私は友人に対する蔭口とか非難が出来ず、自分のする事には絶対の責任を持たねばならぬといふ立場に追ひ込まれて随分と口惜しい悲惨な思ひをした。或る時など小学校随一の悪戯者が校門近くの道路に陥穽を掘つて友達をいぢめやうとしたのを学校の垣根の蔭で眺めた私はそれをさへ先生や友達に知らせる気持になれない。だが刻々に友達が陥穽に落ちる危険が近づく、私はもう気が狂ひさうで我慢出来なかつた。そつと悪戯者の背後に駈け寄つて陥穽の上を板片で覆つて土をかぶせてカモフラージしてゐる彼を力一杯押した。彼は頭ぐるみ自分の作つた陥穽へ落ち込んで泥だらけになつて泣き出した。不断臆病であつた私がそんな大胆な手出しをしたのはよく/\の事であつた。告げ口が出来ない自分の習癖がどんなにもどかしく感じた事であ…

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