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雲は天才である
くもはてんさいである
作品ID4097
著者石川 啄木
文字遣い旧字旧仮名
底本 「石川啄木作品集 第二巻」 昭和出版社
1970(昭和45)年11月20日
入力者Nana ohbe
校正者松永正敏
公開 / 更新2003-03-26 / 2014-09-17
長さの目安約 65 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

      一

 六月三十日、S――村尋常高等小學校の職員室では、今しも壁の掛時計が平常の如く極めて活氣のない懶うげな悲鳴をあげて、――恐らく此時計までが學校教師の單調なる生活に感化されたのであらう、――午後の第三時を報じた。大方今は既四時近いのであらうか。といふのは、田舍の小學校にはよく有勝な奴で、自分が此學校に勤める樣になつて既に三ヶ月にもなるが、未だ嘗て此時計がK停車場の大時計と正確に合つて居た例がない、といふ事である。少なくとも三十分、或時の如きは一時間と二十三分も遲れて居ましたと、土曜日毎に該停車場から程遠くもあらぬ郷里へ歸省する女教師が云つた。これは、校長閣下自身の辯明によると、何分此校の生徒の大多數が農家の子弟であるので、時間の正確を守らうとすれば、勢い始業時間迄に生徒の集りかねる恐れがあるから、といふ事であるが、實際は、勤勉なる此邊の農家の朝飯は普通の家庭に比して餘程早い。然し同僚の誰一人、敢て此時計の怠慢に對して、職務柄にも似合はず何等匡正の手段を講ずるものはなかつた。誰しも朝の出勤時間の、遲くなるなら格別、一分たりとも早くなるのを喜ぶ人は無いと見える。自分は? 自分と雖ども實は、幾年來の習慣で朝寢が第二の天性となって居るので……
 午後の三時、規定の授業は一時間前に悉皆終つた。平日ならば自分は今正に高等科の教壇に立つて、課外二時間の授業最中であるべきであるが、この日は校長から、お互月末の調査もあるし、それに今日は妻が頭痛でヒドク弱つてるから可成早く生徒を歸らしたい、課外は休んで貰へまいかという話、といふのは、破格な次第ではあるが此校長の一家四人――妻と子供二人と――は、既に久しく學校の宿直室を自分等の家として居るので、村費で雇はれた小使が襁褓の洗濯まで其職務中に加へられ、牝鷄常に曉を報ずるといふ内情は、自分もよく知つて居る。何んでも妻君の顏色の曇つた日は、この一校の長たる人の生徒を遇する極めて酷だ、などいふ噂もある位、推して知るべしである。自分は舌の根まで込み上げて來た不快を辛くも噛み殺して、今日は餘儀なく課外を休んだ。一體自分は尋常科二年受持の代用教員で、月給は大枚金八圓也、毎月正に難有頂戴して居る。それに受持以外に課外二時間宛と來ては、他目には勞力に伴はない報酬、否、報酬に伴はない勞力とも見えやうが、自分は露聊かこれに不平は抱いて居ない。何故なれば、この課外教授といふのは、自分が抑々生れて初めて教鞭をとつて、此校の職員室に末席を涜すやうになつての一週間目、生徒の希望を容れて、といふよりは寧ろ自分の方が生徒以上に希望して開いたので、初等の英語と外國歴史の大體とを一時間宛とは表面だけの事、實際は、自分の有つて居る一切の知識、(知識といつても無論貧少なものであるが、自分は、然し、自ら日本一の代用教員を以て任じて居る。)一切の不平、一切の經…

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