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![]() にんげんあくのそうぞう |
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作品ID | 42212 |
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著者 | 折口 信夫 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「折口信夫全集 第廿七巻」 中央公論社 1968(昭和43)年1月25日 |
初出 | 「シャーロツク・ホームズ全集 月報」第10號、1952(昭和27)年3月 |
入力者 | 高柳典子 |
校正者 | 大久保ゆう |
公開 / 更新 | 2004-01-14 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 5 ページ(500字/頁で計算) |
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若い頃、よく衆生の恩など言ふ語を教はつたものだが、その用語例に包含させては、ちよつと冷淡過ぎる氣もする。併し誰でも讀んで居り、又その中の何分の一かゞ、ちよつとも讀まないでゐて、而も讀んだ世間から押しよせて來る知識によつて、一體の智慧の水準の高まつてゐると言ふことは珍しく言ふ程のことはない。明治以後さういふ影響を殘した書物を數へ立てれば、きりもないが、その十種には入らなくても、最讀まれた五十種位に數へなければならない程、日本人の心にひろがつてゐる「知識の書」がある。こなんどいるのしやあろつく・ほうむずだと言つても、恐らく餘程の頑固人でない限りは、快くうけ入れるだらう。愛讀者の中には、之を「選書十種」の中に入れる人もゐるに違ひない。私などが、ろくすつぽふ讀めぬ力で、僅かの原書を辿つたり、譯書で讀んだほうむずは、もう四十年或はもつと前の記憶になつてしまつてゐる。
此頃延原氏本によつて、すつかり忘れてゐた老先輩にめぐり遇つた樣な喜びを與へられてゐる。これに同感を表しておいでの同年輩の方も、多いことゝ考へる。かういふ風に、舊相識の書の復習を樂しんでゐる私には、漠としたものだが、心を掠めるどいるに對する感謝の心がある。
話の口ならし、手品の手ならし見たやうに、始中終論理演習の枕話をふつてゐる部分は、今見ても、數枚飛ばして讀みたくなるが、此頃になつて、つく/″\感じる部分がある。若い時代に、かう言ふ所はどう讀んでゐたかと反省せずには居られない。話の解決に多く見える行き方である。私ならどう書くだらうと言ふ氣がする。きりすと教國人である作者が、きりすとの子としての當然の解決を、多くの場合つけてゐることだ。人間の目より、もつと大きな輝きが、法律・裁判・政治・習慣の上に臨んでゐることを、はつきりどいるが書いてゐることを、さうは言つても、多くの人は知らないでゐるかも知れない。これが、近頃の野村さんの作物の、何と言ふことなく、多くの支持者をもつてゐる理由ではなからうか。其大衆性の故でなく、大衆の間にもつと正しい判斷が抱懷せられてゐることを、どいるが最夙くに示してゐたのであつた。
戰爭後念書人の急場の救ひになつたのは、實際推理小説大小作家の業績であつた。極めて短い間だつたが、原書・飜譯書の自由に與へられなかつた時期が續いた。だが推理作家が勢に乘つて來て、凡、「血みどろ」「拔け穴知らず」など言ふ技術を競ふばかりで、探偵小説本來の目的など言ふことは考へても見ないやうである。
江戸川さんが、殆何も書かなくなつたのは、色々な理由の上に、更に、かう言ふ風潮に對するあきたらなさが、心を重くしつゞけてゐるのであらう。かつ/″\聞えて來る歐米の探偵物の傾向が、かう言ふ風を益助長した爲に、現實と探偵小説は非常に離れて來た。これは今の中に、何とかしてなければならない世界的の事實らしい。事實じようだんぢやな…