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非論理的性格の悲哀
ひろんりてきせいかくのひあい
著者萩原 朔太郎
文字遣い旧字旧仮名
底本 「萩原朔太郎全集 第八卷」 筑摩書房
1976(昭和51)年7月25日
初出「改造 第七卷第十一號」1925(大正14)年11月号
入力者土屋隆
校正者きりんの手紙
公開 / 更新2019-11-01 / 2019-10-28
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 白でないものは黒である。もし白でも黒でもないものは、中間の灰色でなければならない。これが論理の原則であり、我々の推理の方式は、いつでもこの前提の上に組みたてられる。
 しかしながら多くの事實は、いつも人間の推理を裏切つてゐる。具體的なるすべての事實は、決して論理的であり得ない。特に我々の人格ほど、非論理的なものはないであらう。人格の實相は、實に矛盾そのものである。たとへばドストイエフスキイの著るしい特色は、變質者に特有なる非倫的・惡魔主義的の性向である。然るに彼の一面は、聖僧のやうに高潔で、處女のやうに純眞なる人道的な特質を有してゐる。故にこの一の人格は、惡でなく善でなく、白でもなく黒でもない。しからば善惡の中間たる、あいまいな灰色人物であるだらうか? 否、ドストイエフスキイの人格は、神と惡魔の著るしい對立から成立してゐる。そこには北極と南極とがある。そして兩極の調和たるべき、温帶地方といふものが全くない。即ち彼の人格は、白にして同時に黒、黒にして同時に白である。神と惡魔とは、いつも一の氣質の中に、或るふしぎな樣式で入り込みながら生棲してゐる。兩者は決して調和をせず、また妥協をもしてゐない。彼は白でなく黒でなく、また灰色の人物でもない。
 同樣なる非論理的事實が、トルストイやニイチエや、その他の多くの藝術的天才に就いて觀察される。實に藝術家の本質的性格は、論理的矛盾の標本である。しかして偉大なる作家の性格ほど、より著るしい矛盾の對照を示してゐる。――げにあらゆる藝術的なものは、非論理的である。――やや平凡な作家と雖も、藝術家的氣質を有する限りには、多少の非論理性をもたないものはないであらう。ただ反省的の偏質をもたない限り、人は自ら自己の矛盾に氣がつかない。しかしてそれに氣のつくとき、人は決して幸福であり得ない。何となれば吾人の意志が、人格の合理的完成を欲して止まないから。トルストイの晩年に於ける悲壯な生活など、その著るしい例であらう。

 ここに或る一人の人間が、いかに性格の矛盾にみたされ、且つ不斷にその反省で苦しんでゐるかといふことを、私の讀者に告げることも、あながち無意味ではないと思ふ。況んやその男は、多少文藝の才能を有してゐて、同情すべき人柄の男であるから。かりに私は、その人の名をSと名づけておく。もし讀者の中に、多少彼と共通する性格の人を發見し得ば、Sはいかに自ら慰められるであらう。

 Sの生れたのは、田舍の或る小さな町であつた。彼の物質的環境は、比較的に平和で幸福であつたけれども、宿命的に生れついた偏質性が、早くから彼を不幸な人生に導いた。彼の長い生涯を苦しめてる、著るしい性格悲劇の發端は、實にその小學校の生活に始まつてゐる。小學校時代の思ひ出! それは多くの人にとつて、無上に樂しい甘美な追懷であるだらうが、獨りSにとつては反對であり、耐へがた…

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