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迷子
まいご
作品ID4247
著者泉 鏡花
文字遣い旧字旧仮名
底本 「鏡花全集 巻二十七」 岩波書店
1942(昭和17)年10月20日
入力者門田裕志
校正者米田進
公開 / 更新2002-05-20 / 2016-02-02
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 お孝が買物に出掛ける道だ。中里町から寺町へ行かうとする突當の交番に人だかりがして居るので通過ぎてから小戻をして、立停つて、少し離れた處で振返つて見た。
 ちやうど今雨が晴れたんだけれど、蛇の目の傘を半開にして、うつくしい顏をかくして立つて居る。足駄の緒が少し弛んで居るので、足許を氣にして、踏揃へて、袖の下へ風呂敷を入れて、胸をおさへて、顏だけ振向けて見て居るので。大方女の身でそんなもの見るのが氣恥かしいのであらう。
 ことの起原といふのは、醉漢でも、喧嘩でもない、意趣斬でも、竊盜でも、掏賊でもない。六ツばかりの可愛いのが迷兒になつた。
「母樣は何うした、うむ、母樣は、母樣は。」と、見張員が口早に尋ね出した。なきじやくりをしいしい、
「内に居るよ。」
 巡査は交番の戸に凭懸つて、
「お前一人で來たのか、うむ、一人なんか。」
 頷いた。仰向いて頷いた。其膝切しかないものが、突立つてる大の男の顏を見上げるのだもの。仰向いて見ざるを得ないので、然も、一寸位では眼が屆かない。頤をすくつて、身を反して、ふッさりとある髮が帶の結目に觸るまで、いたいけな顏を仰向けた。色の白い、うつくしい兒だけれど、左右とも眼を煩つて居る。細くあいた、瞳が赤くなつて、泣いたので睫毛が濡れてて、まばゆさうな、その容子ッたらない、可憐なんで、お孝は近づいた。
「一體何處の兒でございませう。方角も何も分らなくなつたんだよ。仕樣がないことね、ねえ、お前さん。」
 と長屋ものがいひ出すと、すぐ應じて、
「ちつとも此邊ぢやあ見掛けない兒ですからね、だつて、さう遠方から來るわけはなしさ、誰方か御存じぢやありませんか。」
 誰も知つたものは居ないらしい。
「え、お前、巾着でも着けてありやしないのかね。」
 と一人が踞つて、小さいのが腰を探つたがない。ぼろを着て居る、汚い衣服で、眼垢を、アノせつせと拭くらしい、兩方の袖がひかつてゐた。
「仕樣がないのね、何にもありやしないんですよ。」
 傍に居た肥つたかみさんが大きな聲で、
「馬鹿にしてるよ、こんな兒にお前さん、札をつけとかないつて奴があるもんか。うつかりだよ、眞個にさ。」
 とがむしやらなものいひで、叱りつけたから吃驚して、わツといつて泣き出した。何も叱りつけなくツたつてよささうなもんだけれど、蓋し敢てこの兒を叱つたのではない。可愛さの餘り其不注意なこの兒の親が、恐しくかみさんの癪にさはつたのだ。
「泣くなよ、困つたもんだ。泣くなつたら、可いか、泣いたつて仕樣がない。」
 また一層聲をあげて泣き出した。
 中に居た休息員は帳簿を閉ぢて、筆を片手に持つたまゝで、戸をあけて、
「何處か其處等へ連れて行つて見たらば何うだね。」
「まあ、もうちつと斯うやつとかう、いまに尋ねに來ようと思ふから。」
「それも左樣か。おい、泣かんでも可い、泣かないで、大人しくして居ると…

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