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弥次行
やじこう
作品ID4248
著者泉 鏡花
文字遣い旧字旧仮名
底本 「鏡花全集 巻二十七」 岩波書店
1942(昭和17)年10月20日
入力者門田裕志
校正者米田進
公開 / 更新2002-05-20 / 2016-02-02
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 今は然る憂慮なし。大塚より氷川へ下りる、たら/\坂は、恰も芳野世經氏宅の門について曲る、昔は辻斬ありたり。こゝに幽靈坂、猫又坂、くらがり坂など謂ふあり、好事の士は尋ぬべし。田圃には赤蜻蛉、案山子、鳴子などいづれも風情なり。天麗かにして其幽靈坂の樹立の中に鳥の聲す。句になるね、と知つた振をして聲を懸くれば、何か心得たる樣子にて同行の北八は腕組をして少時默る。
 氷川神社を石段の下にて拜み、此宮と植物園の竹藪との間の坂を上りて原町へ懸れり。路の彼方に名代の護謨製造所のあるあり。職人眞黒になつて働く。護謨の匂面を打つ。通り拔ければ木犀の薫高き横町なり。これより白山の裏に出でて、天外君の竹垣の前に至るまでは我々之を間道と稱へて、夜は犬の吠ゆる難處なり。件の垣根を差覗きて、をぢさん居るか、と聲を懸ける。黄菊を活けたる床の間の見透さるゝ書齋に聲あり、居る/\と。
 やがて着流し懷手にて、冷さうな縁側に立顯れ、莞爾として曰く、何處へ。あゝ北八の野郎とそこいらまで。まあ、お入り。いづれ、と言つて分れ、大乘寺の坂を上り、駒込に出づ。
 料理屋萬金の前を左へ折れて眞直に、追分を右に見て、むかうへ千駄木に至る。
 路に門あり、門内兩側に小松をならべ植ゑて、奧深く住へる家なり。主人は、巣鴨邊の學校の教授にて知つた人。北八を顧みて、日曜でないから留守だけれども、氣の利いた小間使が居るぜ、一寸寄つて茶を呑まうかと笑ふ。およしよ、と苦い顏をする。即ちよして、團子坂に赴く。坂の上の煙草屋にて北八嗜む處のパイレートを購ふ。勿論身錢なり。此の舶來煙草此邊には未だ之れあり。但し濕つて味可ならず。
 坂の下は、左右の植木屋、屋外に足場を設け、半纏着の若衆蛛手に搦んで、造菊の支度最中なりけり。行く/\フと古道具屋の前に立つ。彌次見て曰く、茶棚はあんなのが可いな。入らつしやいまし、と四十恰好の、人柄なる女房奧より出で、坐して慇懃に挨拶する。南無三聞えたかとぎよつとする。爰に於てか北八大膽に、おかみさん彼の茶棚はいくら。皆寒竹でございます、はい、お品が宜しうございます、五圓六十錢に願ひたう存じます。兩人顏を見合せて思入あり。北八心得たる顏はすれども、さすがにどぎまぎして言はむと欲する處を知らず、おかみさん歸にするよ。唯々。お邪魔でしたと兄さんは旨いものなり。虎口を免れたる顏色の、何うだ、北八恐入つたか。餘計な口を利くもんぢやないよ。
 思ひ懸けず又露地の口に、抱餘る松の大木を筒切にせしよと思ふ、張子の恐しき腕一本、荷車に積置いたり。追て、大江山はこれでござい、入らはい/\と言ふなるべし。
 笠森稻荷のあたりを通る。路傍のとある駄菓子屋の奧より、中形の浴衣に繻子の帶だらしなく、島田、襟白粉、襷がけなるが、緋褌を蹴返し、ばた/\と駈けて出で、一寸、煮豆屋さん/\。手には小皿を持ちたり。四五軒行過ぎたる威勢…

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