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佐藤春夫氏の事
さとうはるおしのこと |
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作品ID | 43377 |
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著者 | 芥川 竜之介 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「大川の水・追憶・本所両国 現代日本のエッセイ」 講談社文芸文庫、講談社 1995(平成7)年1月10日 |
入力者 | 向井樹里 |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2005-03-11 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 1 ページ(500字/頁で計算) |
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一、佐藤春夫は詩人なり、何よりも先に詩人なり。或は誰よりも先にと云えるかも知れず。
二、されば作品の特色もその詩的なる点にあり。詩を求めずして佐藤の作品を読むものは、猶南瓜を食わんとして蒟蒻を買うが如し。到底満足を得るの機会あるべからず。既に満足を得ず、而して後その南瓜ならざるを云々するは愚も亦甚し。去って天竺の外に南瓜を求むるに若かず。
三、佐藤の作品中、道徳を諷するものなきにあらず、哲学を寓するもの亦なきにあらざれど、その思想を彩るものは常に一脈の詩情なり。故に佐藤はその詩情を満足せしむる限り、乃木大将を崇拝する事を辞せざると同時に、大石内蔵助を撲殺するも顧る所にあらず。佐藤の一身、詩仏と詩魔とを併せ蔵すと云うも可なり。
四、佐藤の詩情は最も世に云う世紀末の詩情に近きが如し。繊婉にしてよく幽渺たる趣を兼ぬ。「田園の憂欝」の如き、「お絹とその兄弟」の如き、皆然らざるはあらず。これを称して当代の珍と云う、敢て首肯せざるものは皆偏に南瓜を愛するの徒か。