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徳川氏時代の平民的理想
とくがわしじだいのへいみんてきりそう
作品ID43442
著者北村 透谷
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」 筑摩書房
1974(昭和44)年6月5日
入力者kamille
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2004-11-15 / 2014-09-18
長さの目安約 24 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     (第一)

 焉馬、三馬、源内、一九等の著書を読む時に、われは必らず彼等の中に潜める一種の平民的虚無思想の絃に触るゝ思あり。就中一九の著書「膝栗毛」に対してしかく感ずるなり。戯文戯墨の毒弊は世俗の衆盲を顛堕せしのみかは、作者自身等をも顛堕し去んぬ。然れども其罪は之を独り作者に帰すべきにあらず。当時の時代、豈作者の筆頭を借りて、其陋醜を遺存せしものにあらずとせんや。
 徳川氏の封建制度は世界に於て完全なるものゝ一と称せらる、然れども武門の栄華は平民に取りて幸福を剥脱する秋霜なり、盆水一方に高ければ、他方に低からざるを得ず、権力の積畳せし武門に自からなる腐爛生じ、而して平民社界も亦た敗壊し終れり、一方は盛栄の余に廃れ、他方は失望の極に陥落せしなり、自然の結果ほど恐るべきものはあらじ。
 道徳の府なる儒学も、平民の門を叩くことは稀なりし、高等民種の中にすら局促たる繩墨の覊絆を脱するに足るべき活気ある儒学に入ることを許さゞりしなり。精神的修養の道、一として平民を崇むるに適するものあらず、偶、俳道の普及は以て彼等を死地に救済せんとしけるも、彼等は自ら其粋美を蹴棄したり。
 禅味飄逸なる仏教は屈曲して彼等の内に入れり。彼等は神道家の如くに皇室を敬崇することを得ず、孔教を奉じて徳性を育助することも能はず、左ればとて幽玄なる仏界の菩薩に近づく事も、彼等の為し得るところにあらず、悲しいかな仏教の中にも卑近なる教派のみ彼等の友となり、迷信は彼等を禁籠する囚宰となり、弱志弱意は彼等を枯死せしむる荒野となり、彼等をして人間の霊性を放擲して、自ら甘んじて眼前の権勢に屈従せしむるに至りぬ。
 自由は人間天賦の霊性の一なり。極めて自然なる願欲の一なり。然るに彼等は呱々の声の中より既にこの霊性を喪へるを自識せざる可らざる運命に抱かれてありたり、自然なる願欲は抑へて、不自然なる屈従を学ばざる可らざるタイムの籠に投げられてありたり。人誰れか全くタイムの籠に控縛せらるゝを心地よしとするものあらむ、人誰れか天賦の霊性を自殺せしむべき運命を幸福なりとするものあらん。沙翁、人間に斯般の一種の煩悶の抜く可からざるものあるを見て、通解して謂へらく、
For who would bear the whips and scorns of time,
The oppressor's wrong, the proud man's contumely, etc.
 まことに人間は自由を享有すべき者なるよ。今日までの歴史を細閲すれば、自由を買はんとて流せし血の価と煩悶せし苦痛の量とはいかばかりぞや。
And thus the native hue of resolution
Is sicklied o'er with the pale cast of thought ; etc.
 徳川氏末世の平民、実にこ…

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