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国文学の発生(第一稿)
こくぶんがくのはっせい(だいいっこう)
作品ID43764
副題呪言と敍事詩と
しゅうげんとじょじしと
著者折口 信夫
文字遣い旧字旧仮名
底本 「折口信夫全集 第一卷」 中央公論社
1954(昭和29)年10月1日
初出「日光 第一卷第一號」1924(大正13)年4月
入力者野口英司
校正者多羅尾伴内
公開 / 更新2005-04-18 / 2014-09-18
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

        一

日本文學が、出發點からして既に、今ある儘の本質と目的とを持つて居たと考へるのは、單純な空想である。其ばかりか、極微かな文學意識が含まれて居たと見る事さへ、眞實を離れた考へと言はねばならぬ。古代生活の一樣式として、極めて縁遠い原因から出たものが、次第に目的を展開して、偶然、文學の規範に入つて來たに過ぎないのである。
似た事は、文章の形式の上にもある。散文が、權威ある表現の力を持つて來る時代は、遙かに遲れて居る。散文は、口の上の語としては、使ひ馴らされて居ても、對話以外に、文章として存在の理由がなかつた。記憶の方便と云ふ、大事な要件に不足があつた爲である。記録に憑ることの出來ぬ古代の文章が、散文の形をとるのは、時間的持續を考へない、當座用の日常會話の場合だけである。繰り返しの必要のない文章に限られて居た。ところが、古代生活に見えた文章の、繰り返しに憑つて、成文と同じ效果を持つたものが多いのは、事實である。律文を保存し、發達させた力は、此處にある。けれども、其は單に要求だけであつた。律文發生の原動力と言ふ事は出來ぬ。もつと自然な動機が、律文の發生を促したのである。私は、其を「かみごと」(神語)にあると信じて居る。
今一つ、似た問題がある。抒情詩・敍事詩成立の前後に就てゞある。合理論者は抒情詩の前出を主張する。異性の注意を惹く爲とする、極めて自然らしい戀愛動機説である。此考へは、雌雄の色や聲と同じ樣に、詩歌を見て居る。純生理的に、又、原始的に考へる常識論である。其上、發生時に於て既に、ある文學としての目的があつたらしく考へるからの間違ひである。律文の形式が、さうした目的に適する樣に、ある進歩を經てから出來て來た目的を、あまり先天的のものに見たのだ。
わが國にくり返された口頭の文章の最初は、敍事詩であつたのである。日本民族の間に、國家意識の明らかになりかけた飛鳥朝の頃には、早、萬葉に表れたゞけの律文形式は、ある點までの固定を遂げて居た樣に見える。
我々の祖先の生活が、此國土の上にはじまつて以後に、なり立つた生活樣式のみが、記・紀其他の文獻に登録せられて居るとする考へは、誰しも持ち易い事であるが、此は非常に用心がいる。此國の上に集つて來た澤山の種族の、移動前からの持ち傳へが、まじつて居る事は、勿論であらう。
併し、此點の推論は、全くの蓋然の上に立つのであるから、嚴重にすればする程、科學的な態度に似て、實は却つて、空想のわり込む虞れがある。だから、ある點まで傳説を認めておいて、文獻の溯れる限りの古い形と、其から飛躍する推理とを、まづ定めて見よう。
其うちで、ある樣式は、今ある文獻を超越して、何時・何處で、何種族がはじめて、さうして其を持ち傳へたのだと言ふ樣な第二の蓋然も立てられるのである。さうなつた上で、古代生活の中に、眞の此國根生ひと、所謂高天原傳…

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