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縮緬のこころ
ちりめんのこころ
作品ID439
著者岡本 かの子
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆38 装」 作品社
1985(昭和60)年12月25日
入力者渡邉つよし
校正者菅野朋子
公開 / 更新2000-07-11 / 2014-09-17
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 おめしちりめんといふ名で覚えてゐる――それでつくられてゐた明治三十年代、私の幼年時代のねんねこ。それも母のきものをなほしたねんねこだつたからそれよりずつとむかし、明治二十年前後の織物だつたかもしれない。そのねんねこで若いきれいな守女におぶさるのがうれしかつた。柄は紫の矢はづだつたと思ふ。きめが細かくて、そのくせ、しぼが、さらつとして柔かく、しんにぴんとした感じがあつた。何といふ古風な紫の上品な色調、それがやや鼠がゝつた白と中柄の矢はづ絣を組み合せてゐる柄。上品なうへに粋だつた。黒繻子のゑりがかゝつたそのねんねこがすらつとした色の白い若い守女と眼の大きな髪の毛の黒々とした茫漠としたやうな女の児をつつんでゐたその頃の――明治三十年代のやや古びたおめしちりめんを想像して下さい。今の錦紗のやや軽薄めいた技巧的感触や西陣お召の厳粛性のやうな感じとは全然ちがふもつと、ち、り、め、ん、といふなまめかしさ、いとしさ、やるせなさ、優しさの含んだ純粋絹をねりにねつてしなとこくとをつけた布地でした。
 かんこちりめんといふ、これは苦労して働いた家刀自の愛のやうな感じのちりめんで、やはりその頃母の古着のなかにあつたやうに覚えてます。しぼがやたらに荒くつて、もめんのやうな感じの素朴なちりめん。はんてんか上つぱりにし度いやうな細い縞が藍色がゝつたサラサ模様であつたやうです。
 私の三歳、五歳の祝ひ着は今の芝居のうちかけで見るやうな花蝶総縫ひのちりめんに下着を赤のゑぼしちりめんといふので重ねてありました。しぼがゑぼしの折りのやうに高く立つてゐるからゑぼしちりめんなのださうです。
 あついたちりめんといふのは私の女学校時代の学期の合間に着せられる着物についた帯地のちりめんでした。しぼは普通で赤地に白で松竹梅などの柄が出てゐました。ヒワ色、褪紅色の無地ちりめん兵古帯など小学校から女学校時代袴下にしめました。
 娘時代のある時、歌舞伎の舞台で見た若い芸妓のちりめん浴衣にすつかり魅せられました。白ちりめんへ桐の葉を写生風に染め抜いてあるのを殆ど素肌に着てゐました。うらやましくて、私のこしらへたのはしかし、さすがに墨色では粋すぎるので薄紫で菱形を大きく出して見ました。純粋なちりめんを素肌に着た気持ち――一応は薄情なやうな感触であり乍らしつとりと肌に落ちついたとなると、何となつかしく濃情に抱きいたはられる感じでせう。その味の深さ、やるせなさは忘れられるものではありません。
 風にあたつても、雨にふられても、うちへうちへと、しつとりくぼめの抑へをひきしめて、一緒に泣いてでも呉れるやうな、なさけはちりめんの着物よりほか持つてゐません。
 今のちりめんでは、綿紗とか西陣とか小浜とか立派な名を持つてゐるのより、むしろ名もないたゞの地になつて、やたらに友染の染め下地になつてるやうな普通のちりめんといふだけで…

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