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各人心宮内の秘宮
かくじんしんきゅうないのひきゅう |
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作品ID | 45238 |
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著者 | 北村 透谷 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」 筑摩書房 1974(昭和44)年6月5日 |
初出 | 「平和 六號」平和社(日本平和會)、1892(明治25)年9月15日 |
入力者 | kamille |
校正者 | 小林繁雄、門田裕志 |
公開 / 更新 | 2005-11-01 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 14 ページ(500字/頁で計算) |
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各人は自ら己れの生涯を説明せんとて、行為言動を示すものなり、而して今日に至るまで真に自己を説明し得たるもの、果して幾個かある。或は自己を隠慝し、或は自己を吹聴し、又た自らを誇示するものあれば、自らを退譲するものあり、要するに真に自己の生涯を説明するものは尠なきなり。
哲学あり、科学あり、人生を研究せんと企つる事久し、客観的詩人あり、主観的詩人あり、千里の天眼鏡を懸て人生を観測すること既に久し、而して哲学を以て、科学を以て、詩人の霊眼を以て、終に説明し尽すべからざるものは夫れ人生なるかな。
厭世大詩人バイロンが「我は哲学にも科学にも奥玄なるところまで進みしが、遂に益するところあらざりし」と放言し、万古の大戯曲家シヱーキスピーアが「世には哲学を以ても科学を以ても覗ひ見るべからざるものあり」と言ひたりしも、又た学問復興の大思想家と人の言ふなるベーコンが「哲学遂に際涯するところあらざるべし」と戯れたるも、畢竟するに甚深甚幽なる人間の生涯をいかんともすべからざるが為めならんかし。
人生はまことに説明し得べからざるものなるか。好し左らば、人生は暗黒なる雲霧の中に埋却すべきものとせんか。何物とは知らず吾人の中に、斯くするを否むものあるに似たり。
人の本性を善なりと認めたる支那の哲学者も、人の本性を悪と認めたる同じ国の哲学者も、世界を楽天地と思ひ定めしライプニッツも、世界を苦娑婆と唱へたるシヨツペンホウヱルも、或は善の一側を観じ、或は悪の一側を察し、或は楽境を睥目し、或は苦界を睨視したるものにして、是等大思想家の知り得たるところまでは確実なれども、なほ知り得べからざる不可覚界のひろさは、幾百万里程なるべきか。真理は実に多側なり。神の面は一なれど、之を見るものゝ眼によりていかやうにも見ゆるものなるべけれ。深山に分け入りて蹈み迷ふは不案内の旅客なり、然れども其出で来る時には、必らず深山の一部分を識得して之を人にも語り、自らも悟るなり、真理を尋究する思想家の為すところ、亦た斯の如くなるべけん。
深山に蹈入る旅客なかるべからざるが如くに、真理に蹈迷ふ思想家もなかるべからず。人間は暗黒を好む動物にはあらざるなり、常久不滅の霊は其故郷を思慕して、或時に於て之に到着せん事を必するものにてあればこそ、今日に到るまで或は迷信に陥り、或は光明界に出で、宗教の形、哲学の式、千態万様の変遷を経たるなり。人性に具備せる恋愛の如き、同情の如き、慈憐の如き、別して涙の如きもの、深く其至粋を窮めたるものをして造化の妙微に驚歎せしめざるはなし。蛮野より文化に進みたるは左までの事にあらず、この至妙なる霊能霊神を以て遂には獣性を離れて、高尚なる真善美の理想境に進み入ること、豈望みなしとせんや。
欧洲の理想界に形而上派の興りてより、漸くにして古代の崇高なるプラトニックの理想的精神を復活せしめ、爾来欧…