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病房にたわむ花
びょうぼうにたわむはな
作品ID4545
著者岡本 かの子
文字遣い新字新仮名
底本 「愛よ、愛」 パサージュ叢書、メタローグ
1999(平成11)年5月8日
初出「女性改造」1924(大正13)年4月号
入力者門田裕志
校正者土屋隆
公開 / 更新2004-04-27 / 2014-09-18
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 春は私がともすれば神経衰弱になる季節であります。何となくいらいらと落付かなかったり、黒くだまり込んで、半日も一日も考えこんだりします。桜が、その上へ、薄明の花の帳をめぐらします。優雅な和やかな、しかし、やはりうち閉された重くるしさを感じます。日本の春の桜は人の眉より上にみな咲きます。そして多くは高々と枝をかざして、そこにもここにもかしこにも人を待ちうけます――時にはあまりうるさく執拗に息づまるようななやましさをして桜は私の春の至るところに待ちうけます。こんな神経衰弱者の強迫観念や憂鬱感は桜にとって唯迷惑でありましょう。しかしそれらは却って私が桜を多くめでるのあまり桜の美観が私の深処に徹し過ぎての反動かもしれません。かりに桜のない春の国を私は想像して見ます、いかに単調でありましょう。あまり単調で気が狂おう([#挿絵])そして日本の桜花の層が、程よく、ほどほどにあしらう春のなま温い風手は、徒に人の面にうちつけに触り淫れよう。桜よ、咲け咲け、うるさいまでに咲き満てよ。咲き枝垂よかし。
 だが、まだ私は、桜花に就いての憂鬱感や強迫観念を語りやめようとするのではありません。
 十年前、私は或る出来事のために私の神経の一部分の破綻を招いたことがありました。私の神経がそのために随分傷んでしまいました。その春、私が連れて行かれたその狂院に咲き満ちて居た桜の花のおびただしさ、海か密雲に対するように始め私は茫漠として美感にうたれて居るだけでした。が、やがて可憐な精神病患者が遊歩するのを認めて一種奇嬌な美の反映をその満庭の桜から受け始めました。無意味ににやにや笑うもの、天を仰いで合掌するもの、襦袢一つとなって、脱いだ着物を、うちかえしうちかえしては眺むるもの、髪をといたり束ねたりして小さな手鏡にうつし見るもの、附き添いに、おとなしく手をとられて常人のごとく安らかに芝生等の上を歩むもの、すべて老若の男女を合せて十人近い患者の群が、今しも、病房から昼餉ののちの暫時を茲へ遊歩に解放されて居るのだと分りました。桜花が、しっきりなしにそれらの上へ散りかかります。患者のうちのあるものは、うるさそうにそれを髪から払いのけ、あるものは手を振ってよけました。が多くは、細かい花びらが頬を掠めて胸に入っても、一向無関心でありました。無関心が一層あわれを誘いました。私は、診察の順番を待つ間――一時間近く――うかうかとその場景に見入って居りました。先刻から、殊に私の眼をひいた一人の四十前後の男の患者がありました。日露戦争の出征軍歌を、くりかえしくりかえし歌っては、庭を巡回して居ました、その一回の起点が丁度私達の立って見て居る廊下の堅牢な硝子扉の前なのです。男は其処へ来る毎に直立して、硝子扉越の私達を見上げ莞爾としては挙手の礼をしました。私達もだまって素直に礼を返してやりました。男はそれに満足しまた身を返…

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