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雲は天才である
くもはてんさいである |
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作品ID | 45462 |
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著者 | 石川 啄木 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「石川啄木全集 第三巻 小説」 筑摩書房 1978(昭和53)年10月25日 |
初出 | 「啄木全集 第一巻 小説」新潮社、1919(大正8)年4月21日 |
入力者 | Nana ohbe |
校正者 | 林幸雄 |
公開 / 更新 | 2008-08-20 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 33 ページ(500字/頁で計算) |
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一
六月三十日、S――村尋常高等小学校の職員室では、今しも壁の掛時計が平常の如く極めて活気のない懶うげな悲鳴をあげて、――恐らく此時計までが学校教師の単調なる生活に感化されたのであらう、――午後の第三時を報じた。大方今は既四時近いのであらうか。といふのは、田舎の小学校にはよく有勝な奴で、自分が此学校に勤める様になつて既に三ヶ月にもなるが、未だ嘗て此時計がK停車場の大時計と正確に合つて居た例がない、といふ事である。少なくとも三十分、或時の如きは一時間と二十三分も遅れて居ましたと、土曜日毎に該停車場から、程遠くもあらぬ郷里へ帰省する女教師が云つた。これは、校長閣下自身の弁明によると、何分此校の生徒の大多数が農家の子弟であるので、時間の正確を守らうとすれば、勢ひ始業時間迄に生徒の集りかねる恐れがあるから、といふ事であるが、実際は、勤勉なる此辺の農家の朝飯は普通の家庭に比して余程早い。然し同僚の誰一人、敢て此時計の怠慢に対して、職務柄にも似合はず何等匡正の手段を講ずるものはなかつた。誰しも朝の出勤時間の、遅くなるなら格別、一分たりとも早くなるのを喜ぶ人は無いと見える。自分は? 自分と雖ども実は、幾年来の習慣で朝寝が第二の天性となつて居るので……
午後の三時、規定の授業は一時間前に悉皆終つた。平日ならば自分は今正に高等科の教壇に立つて、課外二時間の授業最中であるべきであるが、この日は校長から、お互月末の調査もあるし、それに今日は妻が頭痛でヒドク弱つてるから可成早く生徒を帰らしたい、課外は休んで貰へまいかという話、といふのは、破格な次第ではあるが此校長の一家四人――妻と子供二人と――は、既に久しく学校の宿直室を自分等の家として居るので、村費で雇はれた小使が襁褓の洗濯まで其職務中に加へられ、牝鶏常に暁を報ずるといふ内情は、自分もよく知つて居る。何んでも妻君の顔色が曇つた日は、この一校の長たる人の生徒を遇する極めて酷だ、などいふ噂もある位、推して知るべしである。自分は舌の根まで込み上げて来た不快を辛くも噛み殺して、今日は余儀なく課外を休んだ。一体自分は尋常科二年受持の代用教員で、月給は大枚金八円也、毎月正に難有頂戴して居る。それに受持以外に課外二時間宛と来ては、他目には労力に伴はない報酬、否、報酬に伴はない労力とも見えやうが、自分は露聊かこれに不平は抱いて居ない。何故なれば、この課外教授といふのは、自分が抑々生れて初めて教鞭をとつて、此校の職員室に末席を涜すやうになつての一週間目、生徒の希望を容れて、といふよりは寧ろ自分の方が生徒以上に希望して開いたので、初等の英語と外国歴史の大体とを一時間宛とは表面だけの事、実際は、自分の有つて居る一切の智識、(智識といつても無論貧少なものであるが、自分は、然し、自ら日本一の代用教員を以て任じて居る。)一切の不平、一切の経…