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札幌
さっぽろ
作品ID45463
著者石川 啄木
文字遣い新字旧仮名
底本 「石川啄木全集 第三巻 小説」 筑摩書房
1978(昭和53)年10月25日
入力者Nana ohbe
校正者川山隆
公開 / 更新2008-07-30 / 2014-09-21
長さの目安約 20 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 半生を放浪の間に送つて来た私には、折にふれてしみ/″\思出される土地の多い中に、札幌の二週間ほど、慌しい様な懐しい記憶を私の心に残した土地は無い。あの大きい田舎町めいた、道幅の広い、物静かな、木立の多い、洋風擬ひの家屋の離れ/″\に列んだ――そして甚[#挿絵]大きい建物も見涯のつかぬ大空に圧しつけられてゐる様な、石狩平原の中央の都の光景は、やゝもすると私の目に浮んで来て、優しい伯母かなんぞの様に心を牽引ける。一年なり、二年なり、何時かは行つて住んで見たい様に思ふ。
 私が初めて札幌に行つたのは明治四十年の秋風の立初めた頃である。――それまで私は函館に足を留めてゐたのだが、人も知つてゐるその年八月二十五日の晩の大火に会つて、幸ひ類焼は免れたが、出てゐた新聞社が丸焼になつて、急には立ちさうにもない。何しろ、北海道へ渡つて漸々四ヶ月、内地(と彼地ではいふ。)から家族を呼寄せて家を持つた許りの事で、土地に深い親みは無し、私も困つて了つた。其処へ道庁に勤めてゐる友人の立見君が公用旁々見舞に来て呉れたので、早速履歴書を書いて頼んで遣り、二三度手紙や電報の往復があつて、私は札幌の××新聞に行く事に決つた。条件は余り宜くなかつたが、此際だから腰掛の積りで入つたがよからうと友人からも言つて来た。
 私は少し許りの畳建具を他に譲る事にして旅費を調へた。その時は、函館を発つ汽車汽船が便毎に「焼出され」の人々を満載してゐた頃で、其等の者が続々入込んだ為に、札幌にも小樽にも既う一軒の貸家も無いといふ噂もあり、且は又、先方へ行つて直ぐ家を持つだけの余裕も無しするから、家族は私の後から一先づ小樽にゐた姉の許へ引上げる事にした。
 九月十何日かであつた。降り続いた火事後の雨が霽ると、伝染病発生の噂と共に底冷のする秋風が立つて、家を失ひ、職を失つた何万の人は、言ひ難き物の哀れを一様に味つてゐた。市街の大半を占めてゐる焼跡には、仮屋建ての鑿の音が急がしく響き合つて、まだ何処となく物の燻る臭気の残つてゐる空気に新らしい木の香が流れてゐた。数少い友人に送られて、私は一人夜汽車に乗つた。
 翌暁小樽に着く迄は、腰下す席もない混雑で、私は一夜車室の隅に立ち明した。小樽で下車して、姉の家で朝飯を喫め、三時間許りも仮寝をしてからまた車中の人となつた。車輪を洗ふ許りに涵々と波の寄せてゐる神威古潭の海岸を過ぎると、銭函駅に着く。汽車はそれから真直に石狩の平原に進んだ。
 未見の境を旅するといふ感じは、犇々と私の胸に迫つて来た。空は低く曇つてゐた。目を遮ぎる物もない曠野の処々には人家の屋根が見える。名も知らぬ灌木の叢生した箇処がある。沼地がある――其処には蘆荻の風に騒ぐ状が見られた。不図、二町とは離れぬ小溝の縁の畔路を、赤毛の犬を伴れた男が行く。犬が不意に駆け出した。男は膝まづいた。その前に白い煙がパツと立つ…

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