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赤痢
せきり
作品ID45464
著者石川 啄木
文字遣い新字旧仮名
底本 「石川啄木全集 第三巻 小説」 筑摩書房
1978(昭和53)年10月25日
初出「スバル 創刊号」1909(明治42)年1月1日
入力者Nana ohbe
校正者川山隆
公開 / 更新2008-11-07 / 2014-09-21
長さの目安約 31 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 凸凹の石高路、その往還を右左から挾んだ低い茅葺屋根が、凡そ六七十もあらう、何の家も、何の家も、古びて、穢くて、壁が落ちて、柱が歪んで、隣々に倒り合つて辛々支へてる様に見える。家の中には、生木の薪を焚く煙が、物の置所も分明ならぬ程に燻つて、それが、日一日、破風から破風と誘ひ合つては、腐れた屋根に這つてゐる。両側の狭い浅い溝には、襤縷片や葫蘿蔔の切端などがユラユラした[#挿絵]泥に沈んで、黝黒い水に毒茸の様な濁つた泡が、プクプク浮んで流れた。
 駐在所の髯面の巡査、隣村から応援に来た最一人の背のヒヨロ高い巡査、三里許りの停車場所在地に開業してゐる古洋服の医師、赤焦けた黒繻子の袋袴を穿いた役場の助役、消毒器具を携へた二人の使丁、この人数は、今日も亦家毎に強行診断を行つて歩いた。空は、仰げば目も眩む程無際限に澄み切つて、塵一片飛ばぬ日和であるが、稀に室外を歩いてるものは、何れも何れも申合せた様に、心配気な、浮ばない顔色をして、跫音を偸んでる様だ。其家にも、此家にも、怖し気な面構をした農夫や、アイヌ系統によくある、鼻の低い、眼の濁つた、青脹れた女などが門口に出て、落着の無い不格好な腰付をして、往還の上下を眺めてゐるが、一人として長く立つてるものは無い。小供等さへ高い声も立てない。時偶、胸に錐でも刺された様な赤児の悲鳴でも聞えると、隣近所では妙に顔を顰める。素知らぬ態をしてるのは、干からびた塩鱒の頭を引擦つて行く地種の痩犬、百年も千年も眠つてゐた様な張合のない顔をして、日向で呟呻をしてゐる真黒な猫、往還の中央で媾んでゐる鶏くらゐなもの。村中湿りかへつて、巡査の沓音と佩剣の響が、日一日、人々の心に言ひ難き不安を伝へた。
 鼻を刺す石炭酸の臭気が、何処となく底冷のする空気に混じて、家々の軒下には夥しく石灰が撒きかけてある。――赤痢病の襲来を蒙つた山間の荒村の、重い恐怖と心痛に充ち満ちた、目もあてられぬ、そして、不愉快な状態は、一度その境を実見したんで無ければ、迚も想像も及ぶまい。平常から、住民の衣、食、住――その生活全体を根本から改めさせるか、でなくば、初発患者の出た時、時を移さず全村を焼いて了ふかするで無ければ、如何に力を尽したとて予防も糞も有つたものでない。三四年前、この村から十里許り隔つた或村に同じ疫が猖獗を極めた時、所轄警察署の当時の署長が、大英断を以て全村の交通遮断を行つた事がある。お蔭で他村には伝播しなかつたが、住民の約四分の一が一秋の中に死んだ。尤も、年々何の村でも一人や二人、五人六人の患者の無い年はないが、巧に隠蔽して置いて※牛児[#「特のへん+尨」、U+727B、298-下-8]の煎薬でも服ませると、何時しか癒つて、格別伝染もしない。それが、万一医師にかゝつて隔離病舎に収容され、巡査が家毎に怒鳴つて歩くとなると、噂の拡ると共に疫が忽ち村中に流行して来る―…

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