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![]() きしんひきしん |
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作品ID | 45474 |
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副題 | (実聞) (じつぶん) |
著者 | 北村 透谷 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」 筑摩書房 1969(昭和44)年6月5日 |
初出 | 「女學雜誌 三三一號」女學雜誌社、1892(明治25)年11月5日 |
入力者 | kamille |
校正者 | 小林繁雄、門田裕志 |
公開 / 更新 | 2005-11-05 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 7 ページ(500字/頁で計算) |
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悲しき事の、さても世には多きものかな、われは今読者と共に、しばらく空想と虚栄の幻影を離れて、まことにありし一悲劇を語るを聞かむ。
語るものはわがこの夏霎時の仮の宿とたのみし家の隣に住みし按摩男なり。ありし事がらは、そがまうへなる禅寺の墓地にして、頃は去歳の初秋とか言へり。
二本榎に朝夕の烟も細き一かまどあり、主人は八百屋にして、かつぎうりを以て営とす、そが妻との間に三五ばかりなる娘ひとりと、六歳になりたる小児とあり、夫は実直なる性なれば家業に懈ることなく、妻も日頃謹慎の質にして物多く言はぬほど糸針の道には心掛ありしとのうはさなり。かゝればかまどの烟細しとは言ひながら、其日其日を送るに太き息吐く程にはあらず、折には小金貸し出す勢ひさへもありきと言ふものもありけり。
妻の何某はいつの頃よりか、何となく気欝の様子見え始めたれど、家内のものは更なり、近所合壁のやからも左したる事とは心付かず、唯だ年長けたる娘のみはさすが、母の気むづかしげなるを面白からず思ひしとぞ。世のありさま、三四年このかた金融の逼迫より、種々の転変を見しが、別して其日かせぎの商人の上には軽からぬ不幸を生ぜしも多かり。正直をもて商売するものに不正の損失を蒙らせ、真面目に道を歩むものに突当りて荷を損ずるやうの事、漸く多くなれりと覚ゆ。かの夫妻未だ左したる困厄には陥らねど、思はしからぬが苦情の元なれば、時として夫婦顔を赤めるなどの事もありしとぞ。裡家風情の例として、其日に得たる銭をもて明日の米を買ふ事なれば、米一粒の尊さは余人の能く知るところにあらず。或日の事とて妻は娘を家に残しつ、小児を携へて出で行きしが、米買ふ銭を算へつゝ、ふと其口を洩れたる言葉は「もしこの小児なかりせば、日々に二銭を省くことを得べきに」なりし。之を聞きたる小娘は左までに怪しみもせざりし。その容貌にも殊更に思はるゝところはあらざりしとなむ。
このあたりの名寺なる東禅寺は境広く、樹古く、陰欝として深山に入るの思あらしむ。この境内に一条の山径あり、高輪より二本榎に通ず、近きを択むもの、こゝを往還することゝなれり。累々たる墳墓の地、苔滑らかに草深し、もゝちの人の魂魄無明の夢に入るところ。わがかしこに棲みし時には、朝夕杖を携へて幽思を養ひしところ。又た無邪気の友と共に山いちごの実を拾ひて楽みしところなり。
家を出でゝ程久しきに、母も弟も還ること遅し、鴉は杜に急げども、帰らぬ人の影は破れし簷の夕陽の照光にうつらず。幾度か立出でゝ、出で行きし方を眺むれど、沈み勝なる母の面は更なり、此頃とんぼ追ひの仲間に入りて楽しく遊びはじめたる弟の形も見えず。日は全く暮れぬれども未だ帰らず。案じわびて待つうちに、雨戸の外に人の音しければ急ぎ戸を開くに、母ひとり忙然として立てり。その様子怪しげに見えはせしものゝ、いかに悲しき事のありけんとは思ひもよら…