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かの女の朝
かのじょのあさ
作品ID4555
著者岡本 かの子
文字遣い新字新仮名
底本 「愛よ、愛」 パサージュ叢書、メタローグ
1999(平成11)年5月8日
入力者門田裕志
校正者土屋隆
公開 / 更新2004-02-24 / 2014-09-18
長さの目安約 27 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 K雑誌先月号に載ったあなたの小説を見ました。ママの処女作というのですね、これが。ママの意図としては、フランス人の性情が、利に鋭いと同時に洗練された情感と怜悧さで、敵国の女探偵を可愛ゆく優美に待遇する微妙な境地を表現したつもりでしょう。フランス及びフランス人をよく知る僕には――もちろんフランス人にも日本人として僕が同感し兼ねる性情も多分にありますが――それが実に明白に理解されます。そして此の作はその意味として可なり成功したものでしょう。だが、これは僕自身としてのママへの希望ですが、ママは何故、ひとのことなんか書いて居るのですか。ママにはもっと書くべき世界がある。ママの抒情的世界、何故其処の女主人公にママはなり切らないのですか。ひとのこと処ではないでしょう。ママがママの手を動かして自分の筆を運ぶ以上、もっと、ママに急迫する世界を書かずには居られないはずです。それを他国の国情など書いて居るのは、やっぱりママの小児性が、いくらか見せかけの気持ちに使われて居るからですよ。ママ! ママは自分の抒情的世界の女主人に、いつもいつもなって居なさい。幼稚なアンビシューに支配されないで。でなければ、小説なんか書きなさいますなよ。

 かの女の息子の手紙である。今、仏蘭西巴里から着いたものである。朝の散歩に、主人逸作といつものように出掛けようとして居る処へ裏口から受け取った書生が、かの女の手に渡した。
 逸作はもう、玄関に出て駒下駄を穿いて居たのである。其処へ出合いがしらに来合わせた誰かと、玄関の扉を開けた処で話し声をぼそぼそ立てて居た。
 かの女は、まことに、息子に小児性と呼ばれた程あって、小児の如く堪え性が無かった。
 主人逸作が待って居そうでもあったが、ひとと話をして居るのを好いことにして、息子の手紙の封筒を破った。そして今のような文面にいきなり打突かった。
 だが、かの女としては、それが息子の手紙でさえあれば、何でも好かった。小言であろうと、ねだりであろうと、(だが、甘えの時は無かった。息子は二十三歳で、十代の時自分を生んだ母の、まして小児性を心得て居て、甘えるどころではなくて、母の甘えに逢っては叱ったり指導したりする役だった。普通生活には少しだらしなかったが、本当は感情的で頭の鋭い正直な男子だった。)そしてやっぱり一人息子にぞっこんな主人逸作への良き見舞品となる息子の手紙は、いつも彼女は自分が先きに破るのだった。
 ――あら竹越さんなの。
 逸作と玄関で話して居たのは、かの女の処へ原稿の用で来た「文明社」の記者であった。
 ――はあ、こんなに早く上って済みませんでしたけれど……。その代りめったにお目にかかれない御主人にお目にかかれまして……。
 竹越氏が正直に下げる頭が大げさでもわざとらしくはなかった。逸作は好感から微笑してかの女と竹越との問答の済むのを待って、ゆっくり…

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