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三人の盲の話
さんにんのめくらのはなし
作品ID4577
著者泉 鏡花
文字遣い旧字旧仮名
底本 「鏡花全集 巻十四」 岩波書店
1942(昭和17)年3月10日
初出「中央公論 第二十七年第四號」1912(明治45)年4月
入力者門田裕志
校正者室谷きわ
公開 / 更新2022-11-04 / 2022-10-31
長さの目安約 19 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



「もし/\、其處へ行らつしやりますお方。」……と呼ぶ。
 呼ばれた坂上は、此の聲を聞くと、外套の襟から先づ悚然とした。……誰に似て可厭な、何時覺えのある可忌しい調子と云ふのではない。が、辿りかゝつた其のたら/\上りの長い坂の、下から丁ど中央と思ふ處で、靄のむら/\と、動かない渦の中を、見え隱れに、浮いつ沈みつする體で、跫音も聞えぬばかり――四谷の通りから穴の横町へ續く、坂の上から、しよな/\下りて來て、擦違つたと思ふ、と其の聲。
 何の約束もなく、思ひも懸けず行逢つたのに、ト見ながら行過ぎるうち、其れなり何事も無しには分れまい。呼ぶか、留めるか、屹と口を利くに違ひない、と坂上は不思議にも然う思つた。尤も其は、或機會に五位鷺が闇夜を叫ぶ、鴉が啼く、と同じ意味で、聞くものは、其處に自分一人でも、鳥は誰に向つて呼ぶのか分らない。けれども、可厭な、可忌しい聲を聞かずには濟むまい、と思ふと案の定……
 來て、其の行逢つたものは、一ならびに並んだ三人づれで、どれも悄乎とした按摩である。
 中に挾まれたのは、弱々と、首の白い、髮の濃い、中年増と思ふ婦で、兩の肩がげつそり痩せて、襟に引合せた袖の影が――痩せた胸を雙の乳房まで染み通るか、と薄暗く、裾をかけて、帶の色と同じやうに――黒く映して、ぴた/\ぴた/\と草履穿か、地とすれ/\の褄を見た。
 先に立つたのは鼠であらう、夜目には此の靄を織つてなやした、被布のやうなものを、ぐたりと着て、縁なしの帽子らしい、ぬいと、のはうづに高い、坊主頭其のまゝと云ふのを被つた、脊のひよろりとしたのが、胴を畝らして……通る。
 後なる一人は、中脊の細い男で、眞中の、其の盲目婦の髮の影にも隱れさうに、帶に體を附着けて行違つたのであるから、形、恰好、孰れも判然としない中に、此の三人目のが就中朧に見えた。
 此の癖、もし/\、と云つた、……聲を聞くと、一番あとの按摩が呼留めた事が、何うしてか直ぐに知れた……
「私かい。」
 と直ぐに答へて、坂上は其のまゝ立留まつて、振向いた……ひやりと肩から窘みながら、矢庭に吠える犬に、(畜生、)とて擬勢を示す意氣組である。
「はあ、お前樣で。」
 と沈んで云ふ。果せる哉、殿の痩按摩で、恁う口をきく時、靄を漕ぐ、杖を櫂に、斜めに握つて、坂の二三歩低い處に、伸上るらしく仰向いて居た。
 先の二人、頭の長いのと、何かに黒髮を結んだのは、芝居の樂屋の鬘臺に、髷をのせて、倒に釣した風情で、前後になぞへに並んで、向うむきに立つて、同伴者の、然うして立淀んだのを待つらしい。
 坂上は外套の袖を捻ぢて、踵を横ざまに踏みながら、中折の庇から、對手の眉間を透かし視つつ、
「私に用か。」
「一寸……お話しが……ありまして……」と落着いたのか、息だはしいのか、冬の夜ふけをなまぬるい。



「用事は何です。」
 はじめ、靄の中を…

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