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十万石
じゅうまんごく |
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作品ID | 4588 |
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著者 | 泉 鏡花 Ⓦ / 泉 鏡太郎 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「鏡花全集 巻二十七」 岩波書店 1942(昭和17)年10月20日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 川山隆 |
公開 / 更新 | 2011-09-20 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 16 ページ(500字/頁で計算) |
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上
こゝに信州の六文錢は世々英勇の家なること人の能く識る處なり。はじめ武田家に旗下として武名遠近に轟きしが、勝頼滅亡の後年を經て徳川氏に歸順しつ。松代十萬石を世襲して、松の間詰の歴々たり。
寶暦の頃當城の主眞田伊豆守幸豐公、齡わづかに十五ながら、才敏に、徳高く、聰明敏達の聞え高かりける。
晝は終日兵術を修し、夜は燈下に先哲を師として、治亂興廢の理を講ずるなど、頗る古の賢主の風あり。
忠實に事へたる何某とかやいへりし近侍の武士、君を思ふことの切なるより、御身の健康を憂慮ひて、一時御前に罷出で、「君學問の道に寢食を忘れ給ふは、至極結構の儀にて、とやかく申上げむ言もなく候へども又た御心遣の術も候はでは、餘りに御氣の詰りて千金の御身にさはりとも相成らむ。折節は何をがな御慰に遊ばされむこと願はしく候」と申上げたり。
幼君御機嫌美はしく、「よくぞ心附けたる。予も豫てより思はぬにはあらねど、別に然るべき戲もなくてやみぬ。汝何なりとも思附あらば申して見よ。」と打解けて申さるゝ。「さればにて候、別段是と申して君に勸め奉るほどのものも候はねど不圖思附きたるは飼鳥に候、彼を遊ばして御覽候へ」といふ。幼君、「飼鳥はよきものか」と問はせ給へば、「いかにも御慰になり申すべし。第一お眼覺の爲に宜しからむ。いかにと申せば彼等早朝に時を定めて、ちよ/\と囀出だすを機に御寢室を出させ給はむには自然御眠氣もあらせられず、御心地宜しかるべし」といふ。幼君思召に協ひけん、「然らば試みに飼ふべきなり。萬事は汝に任すあひだ良きに計ひ得させよ」とのたまひぬ。
畏まりて何某より、鳥籠の高さ七尺、長さ二尺、幅六尺に造りて、溜塗になし、金具を据ゑ、立派に仕上ぐるやう作事奉行に申渡せば、奉行其旨承りて、早速城下より細工人の上手なるを召出だし、君御用の品なれば費用は構はず急ぎ造りて參らすべしと命じてより七日を經て出來しけるを、御居室の縁に舁据ゑたるが、善美を盡して、眼を驚かすばかりなりけり。
幼君これを御覽じて、嬉しげに見えたまへば、彼勸めたる何某面目を施して、件の籠を左瞻右瞻、「よくこそしたれ」と賞美して、御喜悦を申上ぐる。幼君其時「これにてよきか」と彼の者に尋ねたまへり。「天晴此上も無く候」と只管に賞め稱へつ。幼君かさねて、「いかに汝の心に協へるか、」とのたまひける。「おほせまでも候はず、江戸表にて將軍御手飼の鳥籠たりとも此上に何とか仕らむ、日本一にて候。」と餘念も無き體なり。
「汝の心に可しと思はば予も其にて可し、」と幼君も滿足して見え給へば、「然らば國中の鳥屋に申附けあらゆる小鳥を才覺いたして早御慰に備へ奉らむ、」と勇立てば、「否、追てのことにせむ、先づ其まゝに差置け、」とて急がせたまふ氣色無し。何某は不審氣に跪坐たるに、幼君、「予は汝が氣に入りたり。汝が可しと思ふことならば予は何にても可し…