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妙齢
みょうれい |
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作品ID | 4593 |
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著者 | 泉 鏡花 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「鏡花全集 巻二十七」 岩波書店 1942(昭和17)年10月20日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 土屋隆 |
公開 / 更新 | 2007-04-28 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 4 ページ(500字/頁で計算) |
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雨の日のつれ/″\に、佛、教へてのたまはく、昔某の國に一婦ありて女を生めり。此の婦恰も弱竹の如くにして、生れし女玉の如し。年はじめて三歳、國君其の色を聞し召し、仍ち御殿にお迎へ遊ばし、掌に据ゑられしが、忽ち恍惚となり給ふ。然るにても其の餘りの美しさに、ひととなりて後國を傾くる憂もやとて、當時國中に聞えたる、道人何某を召出して、近う、近う、爾よく此の可愛きものを想せよ、と仰せらる。名道人畏り、白き長き鬚を撫で、あどなき顏を仰向けに、天眼鏡をかざせし状、花の莟に月さして、雪の散るにも似たりけり。
やがて退りて、手を支へ、は、は、申上げ奉る。應、何とぢや、とお待兼ね。名道人謹んで、微妙うもおはしまし候ものかな。妙齡に至らせ給ひなば、あはれ才徳かね備はり、希有の夫人とならせ給はん。即ち、近ごろの流行の良妻賢母にましますべし。然りながら、我が君主、無禮なる儀には候へども、此の姫、殿の夫人とならせたまふ前に、餘所の夫の候ぞや。何と、と殿樣、片膝屹と立てたまへば、唯唯、唯、恐れながら、打槌はづれ候ても、天眼鏡は淨玻璃なり、此の女、夫ありて、後ならでは、殿の御手に入り難し、と憚らずこそ申しけれ。
殿よツく聞し召し、呵々と笑はせ給ひ、余を誰ぢやと心得る。コリヤ道人、爾が天眼鏡は違はずとも、草木を靡かす我なるぞよ。金の力と權威を以て、見事に此の女祕藏し見すべし、再び是を阿母の胎内に戻すことこそ叶はずとも、などか其の術のなからんや、いで立處に驗を見せう。鶴よ、來いよ、と呼びたまへば、折から天下太平の、蒼空高く伸したりける、丹頂千歳の鶴一羽、ふは/\と舞ひ下りて、雪に末黒の大紋の袖を絞つて畏る。殿、御覽じ、早速の伺候過分々々と御召しの御用が御用だけ、一寸お世辭を下し置かれ、扨てしか/″\の仔細なり。萬事其の方に相まかせる、此女何處にても伴ひ行き、妙齡を我が手に入れんまで、人目にかけず藏し置け。日月にはともあらん、夜分な星にも覗かすな、心得たか、とのたまへば、赤い頭巾を着た親仁、嘴を以て床を叩き、項を垂れて承り、殿の膝におはします、三歳の君をふうはりと、白き翼に掻い抱き、脚を縮めて御庭の松の梢を離れ行く。
恁て可凄くも又可恐き、大薩摩ヶ嶽の半ばに雲を貫く、大木の樹の高き枝に綾錦の巣を營み、こゝに女を据ゑ置きしが、固より其の處を選びたれば、梢は猿も傳ふべからず、下は矢を射る谷川なり。富士河の船も寄せ難し。はぐくみ參らす三度のものも、殿の御扶持を賜はりて、鶴が虚空を運びしかば、今は憂慮ふ事なし? とて、年月を經る夜毎々々、殿は美しき夢見ておはしぬ。
恁くてぞありける。あゝ、日は何時ぞ、天より星一つ、はたと落ちて、卵の如き石となり、其の水上の方よりしてカラカラと流れ來る。又あとより枝一枝、桂の葉の茂りたるが、藍に緑を飜し、渦を捲いてぞ流れ來る。續いて一人の美少年、何處より落ちたり…