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麦搗
むぎつき
作品ID4597
著者泉 鏡花 / 泉 鏡太郎
文字遣い旧字旧仮名
底本 「鏡花全集 巻二十七」 岩波書店
1942(昭和17)年10月20日
入力者門田裕志
校正者川山隆
公開 / 更新2011-10-13 / 2014-09-16
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 傳へ聞く、唐土長安の都に、蒋生と云ふは、其の土地官員の好い處。何某の男で、ぐつと色身に澄した男。今時本朝には斯樣のもあるまいが、淺葱の襟に緋縮緬。拙が、と拔衣紋に成つて、オホン、と膝をついと撫でて、反る。
 風流自喜偶歩、と云ふので、一六が釜日でえす、とそゝり出る。懷中には唐詩選を持參の見當。世間では、あれは次男坊と、敬して遠ざかつて、御次男とさへ云ふくらゐ。處を惣領が甚六で、三男が、三代目の此の唐やうと來た日には、今はじまつた事ではなけれど、親たちの迷惑が、憚りながら思遣られる。
 處で、此の蒋才子、今日も又例の(喜偶歩。)で、靴の裏皮チヤラリと出懸けて、海岱門と云ふ、先づは町盡れ、新宿の大木戸邊を、ぶらり/\と、かの反身で、婦が突當つてくれれば可い、などと歩行く。
 樣子が何うも、ふびんや、餘り小遣がなかつたらしい。尤も地もの張と俗に號する徒は、懷中の如何に係はらず、恁うしたさもしい料簡と、昔から相場づけに極めてある。
 最う其の門を出はなれて、やがて野路へ掛る處で、横道から出て前へ來て通る車の上に、蒋生日頃大好物の、素敵と云ふのが乘つて居た。
 ちらりと見て、
「よう。」と反つて、茫然として立つた。が、ちよこ/\と衣紋繕ひをして、其の車を尾けはじめる。と婦も心着いたか一寸々々此方を振返る。蒋生ニタリとなり、つかず離れず尾之、とある工合が、彼の地の事で、婦の乘つたは牛車に相違ない。何うして蜻蛉に釣られるやうでも、馬車だと然うは呼吸が續かぬ。
 で、時々ずつと寄つては、じろりと車を見上げるので、やがては、其の婦ツンとして、向うを向いて、失禮な、と云つた色が見えた。が、そんな事に驚くやうでは、なか/\以て地ものは張れない。兎角は一押、と何處までもついて行くと、其の艷なのが莞爾して、馭者には知らさず、眞白な手を青い袖口、ひらりと招いて莞爾した。
 生事、奴凧と云ふ身で、ふら/\と胸を煽つた。(喜出意外)は無理でない。
 之よりして、天下御免の送狼、艷にして其の且美なのも亦、車の上から幾度も振返り振返りする。其が故とならず情を含んで、何とも以て我慢がならぬ。此のあたり、神魂迷蕩不知兩足※跚也[#「足へん+吶のつくり」、U+47DC、97-6]。字だけを讀めば物々しいが、餘りの嬉しさに腰が拔けさうに成つたのである。
 行く事小半里、田舍ながら大構への、見上げるやうな黒門の中へ、轍のあとをする/\と車が隱れる。
 虹に乘つた中年増を雲の中へ見失つたやうな、蒋生其の時顏色で、黄昏かゝる門の外に、とぼんとして立つて見たり、首だけ出して覗いたり、ひよいと扉へ隱れたり、しやつきりと成つて引返したり、又のそ/\と戻つたり。
 其處へ、門内の植込の木隱れに、小女がちよろ/\と走つて出て、默つて目まぜをして、塀について此方へ、と云つた仕方で、前に立つから、ござんなれと肩を搖つて…

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