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鸚鵡小町
おうむこまち
作品ID46312
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 2」 中央公論社
1995(平成7)年3月10日
初出「土俗と伝説 第一巻第三号」1918(大正7)年10月
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2007-02-05 / 2014-09-21
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

謡曲小町物の一で、卒都婆小町などゝ共に、小町の末路を伝へたものである。小野ノ小町御所を出て、年たけて、関寺辺の柴の庵に、住んでゐた。陽成院小町の容子を聞こしめされて、新大納言行家に、
雲の上は、ありし昔にかはらねど、見し玉簾の うちやゆかしき
といふ御製を預けて、其有様を見がてら、返歌を聞いて来るやうに命ぜられた。関寺に行くと、物狂ひの老女が来るのを小町かと聞くと、小町は小町だが、お公家様として、妾の事を問はれるのは、何事の用だと言ふ。歌を詠むかと問ふと、かう言ふ身の上になつて、唯生きてゐると言ふばかりだと答へる。天子もお前をおいとほしがられて、御製を下されたと言ふと、其を読み聞かせてくれといふ。読み聞かせると、喜んで、あり難い御歌だが、とても返歌を申すことが出来さうにもない。けれども、御和へ申さぬのも、恐れ多い。此上は、唯一字で、お和へしようと言ふ。行家は、なるほど世間で気違ひだと言ふのも、こゝだと思うて、三十一字を並べても、意の尽されぬ歌もあるのに、変な事を言ふと咎めると、ともかくも「ぞ」と言ふ文字が、わたしの返歌だから、御製を今一度読みあげてくれ、と言ふ。「雲の上は、ありし昔にかはらねど、見し玉簾のうちやゆかしき」。その「や」を読みかへて「うちぞゆかしき」と申すのが、返歌であると言うたとあるのが、此話の本筋になつてゐる。
此から、勅使が、昔にも、かう言ふ歌の例があつたか、と問ふ処から、鸚鵡返しの体の事より、歌の六義の話に入り、其縁で、玉津島・業平の話になつて、例の舞ひの所望に移り、小町の狂ひになる。後段は、狂ひを見せる為の趣向で、本意は、勿論前段にある。処が、其贈答の話は、実は他人の上にあつた、事実めいた話其儘である。
桜町中納言(信西入道の子。成範民部卿)が、平治の乱の末に、経宗・維方の讒訴で流されてゐた下野の室の八島から戻つたが、以前の様に後宮出入りが自由に出来なかつた。此人の通り過ぎるのを見て、女房の中から、其かみの事を思ひ出したのが、此陽成院の御製と伝へた歌の通りの物を、さし出した。成範が返歌を考へて居る処へ、重盛が上つて来たので、急いで立ち退きしなに、燈楼のかきあげの木の端で、や文字を消して、ぞの字を書きつけて、御簾の中に、さし込んで退出した(十訓抄)と言ふのが、其である。
国歌大観によると、二条院崩御の後、俊成の作つた歌と言ふの(新千載に「雲の上はかはりにけりと聞くものを、見しよに似たる夜半の月かな」)がある。此は全く、かの歌を本歌にとつたのである。故らに本歌と意識せなんだ迄も、其印象の復活したものと見れば、俊成以前に此歌のあつた証拠にはなる。
桜町中納言は、俊成と略時代を接した人であるから、勅撰集に載らない此逸話を持つた歌を覚えて居たのが「夜半の月」の種になつたことは、疑ひがない。武家の初めに、鸚鵡小町の伝説が名高かつたものなら、恐らく十…

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