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作品ID | 46314 |
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著者 | 折口 信夫 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「折口信夫全集 2」 中央公論社 1995(平成7)年3月10日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 仙酔ゑびす |
公開 / 更新 | 2007-02-05 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 31 ページ(500字/頁で計算) |
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一
茲には主として、神事に使はれた花の事を概括して、話して見たいと思ふ。
平安朝中頃の歌の主題になつて居た歌枕の中に、特に、非常な興味を持たれたものは、東国の歌枕である。
東国のものは、異国趣味を附帯して、特別に歌人等の歓迎を受けた。其が未だに吾々の間に勢力を持つて居る。譬へば関東には「迯げ水」の実在が信ぜられて居た。それは、先へ行けば行く程、水が逃げて行くと考へられて居たものである。又「入間言葉」なども、大分後になつて、歌枕に這入つて来た。其は、人の言葉を何でも反対に言ふと信ぜられて居るものである。「ほりかねの井」など言ふものも、後になつて出来た。下野には「室の八島」がある。此類のものは他にも沢山ある。旅行者が、旅路の見聞談を敷衍して話した為に、都の人々は非常な興味を持つて居た。「常陸帯」の由来も其一つである。総じて東国のものは、奥州に跨つて、異国趣味を唆る事が強かつた。
そんな事の中に、錦木を門に樹てることがある。里の男が、懸想した女の家の門へ錦木を切つて来て樹てるのである。美しい女の家の門には、村の若者によつて、沢山の錦木が樹てられる。どれが誰のか、判断はどうしてつけるのか訣らぬが、女が其中から、自分の気に入つた男の束を取り入れる。其は、女が承諾した事を示す。此は、平安朝の末頃、陸奥の結婚にはかう言ふ話があつた、と言ふ諸国噺の一つとして、語り伝へられて、歌枕になつたのであるが、よく考へて見ると、さう言ふ事でないのかも知れぬ。
此は恐らく、正月の門松の御竈木と同じ物で、他人の家の外に、知らぬ間に、木を樹てに来るものではなかつたらうか。其樹を何故、錦木と言ふのであらうか。錦木と言ふ木なのか、或は其樹てた木を錦木と言うたのか、問題であるが、それは結婚の為ではなく、私は外から来るある人が、土産として、樹てゝ行つたことの、一つの説明なのだらうと思ふ。御竈木の古い形を見たのは、三・信境の山間、遠州の山奥辺の風俗であつた。三河の奥で、初春行はれる祭りに「花祭り」といふのがある。昔は、前年の霜月に行はれた。即、春のとり越し祭りである。此祭りの意味から言ふと、来年の村の生活は此とほりだ、と言ふことを、山人が見せてくれるのであつた。其時、山人の持つて来る山苞には色々あつた。更に、其が種々に分れて来た。鬼木とも言ひ、にう木(丹生木か)とも言ふ木の外に、雑多なものを持つて来る。
花祭りと、にう木が門に樹てられる事とは、別の時ではあるが、今は正月の初めと小正月前後に当るから、近づいて来たのである。中世では、にう木の樹てられる初春と、花祭りの行はれる霜月とは、間があいて居たけれども、もつと古い時代には、にう木の樹てられる時と、花祭りの時とは同じ時で、其が次第に岐れて来たのであらうと推定出来る。
花祭りの行事は「花育て」といふ行事が演芸種目の中心になつてゐる。竹を割いて…