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桟敷の古い形
さじきのふるいかたち |
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作品ID | 46327 |
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著者 | 折口 信夫 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「折口信夫全集 3」 中央公論社 1995(平成7)年4月10日 |
初出 | 「土俗と伝説 第一巻第二号」1918(大正7)年9月 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 仙酔ゑびす |
公開 / 更新 | 2007-05-01 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 2 ページ(500字/頁で計算) |
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此字は、室町の頃から見え出したと思ふが、語がずつと大昔からあつたことは、記紀の註釈書の全部が、挙つて可決した処である。言ふまでもなく、八俣遠呂知対治の条に、記・紀二つながら、音仮名で、さずきと記してゐる。それより後の部分にも、神功の継子の二皇子、菟餓野に祈狩して、各仮[#挿絵]にゐると、赤猪が仮[#挿絵]に登つて、麑坂ノ王を咋ひ殺した(神功紀)ことがある。又百済ノ池津媛、石河ノ楯とかたらひして、天子の逆鱗に触れて、二人ともに両手・両脚を、木に張りつけ、仮[#挿絵]の上に置ゑて、来目部の手で、焚き殺された(雄略紀)よしが見える。
此尠くとも奈良以前に、磔殺の極刑のあつたことを示した伝へは、罪人を神の前に火殺する、一種の神事と仮[#挿絵]との関係を示すと共に、形は、足代の上に、屋根なしの箱槽を置いた様だつたことを思はせる。二皇子の場合も、うけひの神事と、猟りの矢倉とを兼ねた物らしい。山・塚・旗・桙などの外に、今一種神招ぎの場として、かう言ふ台に似た物を作つたことがあつたのだらう。
又、菟道・鹿路に目柴立て、射部配ゑたゞけでは適はぬ猛獣の場合に構へたらしいこと、今尚、此風の矢倉構へる猟師があるのでも訣る。記に、門毎に仮[#挿絵]を結ぶと見え、紀に仮[#挿絵]八間なるを作るとあるのも、入り口の上に構へた物もあり、柱間の広い物もあつたことを示すのである。
祭り其他の物見に作り構へた桟敷は、古くはやはり、矢倉の一種であつたと思はれる。桟敷と言ふと、字義と実際とが相俟つて、長く造りかけた物らしく思はせてゐるが、古い形は、今の人の聯想とは、交渉を没した姿で、地上からやゝ高くそゝり立つてゐたのであらう。