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田遊び祭りの概念
たあそびまつりのがいねん
作品ID46329
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 3」 中央公論社
1995(平成7)年4月10日
初出「民俗芸術 第二巻第九号」1929(昭和4)年9月
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2007-05-06 / 2014-09-21
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     一 田遊び・田[#挿絵]ひ・田楽

日本には、田に関する演芸が、略三種類ある。第一は、田遊びである。此行事は、余程、古くから行はれたものと思ふ。次は田[#挿絵]ひで、此も、奈良朝以前既にあつた。第三は、平安朝の末に見え出して、鎌倉に栄え、室町に復活した、田楽である。
田遊びは又、春田打ちとも言ふ。所によつては、此を暮れに行ふ事もあるが、多くは正月に行ふので、現在でも、新旧の正月に此を行ふ地方が、まだ方々にある。勿論現在行はれて居るものは、いろ/\形が変つて了うたものが多いが、東京附近では、赤塚村の諏訪神社で行はれるものが、一つの典型的な形と見られる。
田[#挿絵]ひに就いては、古い文献もある。日本紀に、天智天皇の十年五月、群臣と西ノ小殿に宴して、此を御覧ぜられた事が出て居る。田[#挿絵]ひの名が、ものゝ上に見えて居るのは、此が最初であるが、実際はもつと、古くからあつたに相違ない。
しかし、此田[#挿絵]ひは、早く民間を離れて、宮廷のものになつて了うた様だ。少し後れては、雅楽寮の諸師の員数を定めた中に、田[#挿絵]師幾人を置く、と規定した官符などが見られるほどで、其頃になつては、最早、民間の行事ではなくなつて了うて居たと思はれるが、やはり此は、元は五月の田植ゑに関したものが、いつか宮廷に採り入れられて、舞ひぶりで、変化させられたのだと思ふ。
田歌を、田[#挿絵]ひの歌詞であつたと見るのには、問題がある様だが、此二者には、どうも関係があるらしい。其を見ると、三四月の候に行はれる、鎮花祭の歌と殆、同じものだ。尠くとも、田[#挿絵]ひは、それの行はれた時期から見ても、五月の田植ゑから出た事が考へられる。それの雅楽化したものだ、と見ていゝ様だ。

     二 田遊びと田楽との関係

田楽は、此後に出て来たので、平安朝の末頃から、田遊びと田楽とが、並行して行はれて居る。此問題では、親友・畏友達の間にも、賛成して貰へない様な点があるのであるが、栄華物語の中に、田遊びの事が出て居る。此も、解釈がいろ/\に岐れて居る。
またでむがくといひて、あやしき様なるつゞみ、こしにゆひつけて、笛ふき、佐々良といふ物つき、さま/″\の舞ひして、あやしの男ども歌うたひ、ゑひて心地よげにほこりて、十人ばかりあり云々。
とある。此でむがくは、鼓の名だとする説がある。尤、鼓にもあつて、其は田つゞみとも言ふが、此場合の文章では、此は鼓の事ではない。「田遊び」に並べて、「また田楽といつて、人員十人ばかりが、さま/″\の舞ひを舞うた」ので、「田遊び」と「田楽」とが、同時に並んで行はれた、一つの例と見られるのである。
一口に言へば、五月田植ゑの際に行はれた、田遊び(歌舞)が、平安朝の末に、呪師出の法体芸人の手に移つて――当時の民俗芸術の影響をうけて――変化したもの――或は合体したと見てもいゝ―…

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