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雪まつりの面
ゆきまつりのめん
作品ID46331
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 3」 中央公論社
1995(平成7)年4月10日
初出「民俗学 第一巻第四号」1929(昭和4)年10月
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2007-05-06 / 2014-09-21
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

一昨々年の初春には、苦しい目を見た。信州下伊那の奥、新野の伊豆権現の雪祭りに、早川さんと二人で、採訪旅行をしたことであつた。さうして、一週間といふもの完全に、小忌人の様な物忌みをして、村の神事役の人と共に一つになつて、祭儀の観察をさせて貰うてゐた。其揚句が、ちよつとの行き違ひから、村の大勢の人たちに反感を催されて、私の頭に、消防組の鳶口の一撃位は、来さうなけはひを感じた。あんな残念な事はなかつた。けれども、毎年新暦の正月十三日になると、今一度、信遠三の境山に囲まれた、あの山村の祭りに、あひたくてならない気がする。其中でも、殊に印象深く残つてゐるのは、正祭の前日の面しらべの行事であつた。大小二十に余るお面を、棚に並べておいて、其を上手と称する当役その他の人々が、てんでに新しく、胡粉や、丹で彩色する事であつた。村の人は、此について、合理的な何の説明もせなかつたけれど、かうする事が、年々新しく、お面を作るのとおなじ効果のあるもの、と言ふ信仰を印象してゐる事が考へられた。だがもつと、古く或は、日本的といふことを超越して思ふと、死者のますくに、毎年新しい生命を与へる為の技術のなごりが、仄かに残つてゐる様な気がして、蝋燭の瞬きが、何とも言へない古代の古代を、空想させた事であつた。
彩色せぬ面もある。其は三つの鬼の面である。十年ほど前の夏、私が此村を訪うて、種紙屋と間違へられた事があつた。其後、この伊豆権現が焼亡した相である。其頃天井にあげてあつたお面祭器類も、持ち出す事が出来ないで了うた。其後お祭りの為に、お面を神事役の年よりが、皆より集つて彫刻したのである。鬼などは、精巧過ぎる程に出来てゐる。此が素人の手になつたとは思へぬ程である。でも、どの面と、どの面とは、誰の作と言ふ事が訣つてゐる。而も、当事者以外には、わかつても知らぬ顔でゐるらしく、又そんな事を考へるのはわるいと思ふ為か、大した年月も経ないのに、今では問題にもなつて居ない。さうして、年役の人々は、皆それ/″\のお面の形相を評して、不思議な事には、どれもこれも、皆昔のお面に生きうつしだと言うてゐる。中には、自分自身刻んだお面に対して、さう言ふ風に言うてゐる人もあるのだ。さう考へねばならぬのか、祭りになつて愈、お面がはたらき出すとさう感じるのか、私には判断はつかぬが、ともかくも、気むづかしさうな、ひそ/\声で、神秘さうに話して聞かした。私は、村々の古典生活の調査に当つて、過重な感激に囚はれる事を、避けたい態度だと思うてゐる。其私すらも、此時は変な気がして、早川さんと、顔を見あはせた。其後も度々、二人で此を一つ話にした。
この村などは、明治初年この辺一帯に行はれた、奴隷解放運動に似た、被官廃止の騒動の余波を激しく受けて、旧来の歴史を随分に一蹴した事実もあるのである。伊豆権現を携へて、茲に居を占め創めた、村の古い開発者…

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