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車中有感
しゃちゅうゆうかん
作品ID46528
著者上村 松園
文字遣い新字新仮名
底本 「青眉抄・青眉抄拾遺」 講談社
1976(昭和51)年11月10日
入力者鈴木厚司
校正者川山隆
公開 / 更新2007-06-06 / 2014-09-21
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 汽車の旅をして、いちばん愉しいことは、窓にもたれて、ぼんやりと流れてゆく風景を眺めていることである。
 いろいろの形をした山の移り変りや、河の曲折などを眺めていると、何がなし有難い気持ちになって、熱いものを感じるのである。
 ふっと、一瞬にして通りすぎた谷間の朽ちた懸け橋に、紅い蔦が緋の紐のように絡みついているのを見て、瞬時に、ある絵の構図を掴んだり、古戦場を通りかかって、そこに白々と建っている標柱に、何のそれがし戦死のところ、とか、東軍西軍の激戦地とかの文字を読んで、つわものどもの夢の跡を偲んだりするのは無限の愉しみである。

 汽車に乗ると、すぐ窓辺にもたれて、窓外の風景へ想いをはしらすわたくしは――実は車内の、ごたごたした雰囲気に接するのを厭うためででもあった。
 汽車の中は、ひとつの人生の縮図であり、そこにはいろいろ社会の相が展開されているので、それらの相を仔細に眺めていると、いろいろと仕事のほうにも役立つ参考になるものがあるのであるが、わたくしには、ときたまに見受ける公徳心を失った、無礼な乗客の姿に接することが、たまらなく厭おしいので、そういうものをみて、自分の心をいためることのいやさから、自然に窓の外へと、自分の眸を転じてしまう癖がついてしまったのである。
 窓外の風景には、自分の心をいためるものは一つもない。そこにあるのは、いずれも、自分の心を慰め柔げてくれる風景ばかりである。
 ところが、わたくしは偶然にも、真珠のような美しいものを一昨年の秋、上京の途上にその車中で眺めたのである。あとにも先にも、わたくしは車中で、このような美しいものを感じたことは一度もない。それは、幼い児を抱いた、若い洋装の母の姿であり、その妹の姿であり、その幼児のあどけない姿であった。

 汽車が京都駅を発ってしばらくしてからのことであった。逢坂トンネルを抜けて、ひろびろとした琵琶の湖を眺めていると、近くで、優しい声がして、赤ン坊に何か言っているのが聞えて来たので、わたくしは、その声に何気なく振り返ると、ちょうどわたくしの座席と反対側の座席に、洋装の美しい若い女が、可愛い誕生前後とおぼしい幼児を抱えて、何か言っている姿が眼にうつった。
 わたくしは、その姿を一眼みるなり、思わず、ほう……と、呟いた。その母親(おそらく二十二、三であったであろう)の洗練された美しさもさることながら、その向いに坐っている妹さんらしい人の美しさにも、
「よくも、このように揃った姉妹があったもの」
 と、内心おどろきに似たものを感じざるを得ないほどであった。
 姉妹とも洋装で、髪はもちろん洋髪であった。
 近頃、若い女の間に、その尊い髪に電気をあてて、わざわざ雀の巣のように、あたら髪を縮らすことが流行して、わたくしなどの目には、いささかの美的情感も催さないのであるが、この姉妹の髪の、洋髪でありな…

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