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作品ID | 46547 |
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著者 | 萩原 朔太郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「日本の名随筆82 占」 作品社 1989(平成元)年8月25日 |
入力者 | 土屋隆 |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2006-10-27 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 3 ページ(500字/頁で計算) |
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すべての易者たちは、彼の神秘な筮竹を探りながら、威嚇するやうな調子で言ふ。人間の一生は、天に於ける九星の宿位によつて、生れた最初の日から死ぬ時まで、必然に避けがたく予定されてる。それ故に我々は、星占学の記入された簿記を調べて、君の生涯の第一頁から、奥付の終頁までを、確実に誤りなく、読むことができるのであると。
此処までの思想で見れば、易者の哲理は決定論に類属して居た。それは科学の宇宙観や、唯物主義の人生観と同じく、すべての現象を、それの生ずる前提条件の因果にたづね、偶然のない宇宙――宿命的、数学的に決定された人生――を説明して居るのである。けれども若しさうだつたら、何人も決して易者の占筮を乞はないだらう。何故といつて我々の運命は、易者の言ふ如く、過去にも、現在にも、未来にも、必然的に避けがたく決定されてる。丁度日影に蒔かれた貧弱の瓜の種から、一つの貧弱の苗が生え、蔓が伸び、やがて貧弱の実が成るやうに、人間の生涯もまた、最初の種と原因とに、すべての発展する将来の結果を内因して居る。瓜がいくら熱心に願つたところで、その他の何物にもなり得る筈がなく、星占学の簿記に書かれた人間の一生は、どんなインキ消を使用しても、断じて消すことも変へることも出来ないのである。
さてそれならば、易者がどうして人の運命を自由に変化し、未来の幸福を指示することができようか。易者に聞いても聞かないでも、予定された未来の不幸は、必ず避けがたくやつて来る。さうして若しさうだとすれば、人は未来の運命から眼を閉ぢ、故意に知るまいとして努めるだらう。どんな物好きの死刑囚も、自分の刑の執行日をわざわざ看守に尋ねはしない。すべての人々は、未来を予知できない故に生きながらへてる。だれがわざわざ、自殺するために易者の店を訪ふだらうか。逆に却つて人々は、星占学の辻占から、未来の漠然たる幸福――幸福があるだらうといふ運命の予約――を期待して居る。そしてまた(皮肉なことには)いやしくも易者を訪ふほどのすべての人は、過去にも現在にも不運であり、それ故にまた将来の幸運さへも、概して予想できないところの人々である。
すべての易者と星占家(家相家や、人相見や、八卦師や)は、かうした彼等の所謂亡者どもを済度するため、矛盾にも此処で前説を豹変し、逆に今度は、意志の自由が運命を支配すること、自覚と心がけとによつて、何人も意識的に人相を変へ、悪しき手相を善き手相にし、自由に運命を支配し得ることを弁解する。かくも辻ツマの合はない非論理を、彼等は平然として言ふのである。「宿命のプログラムは、星の運行と共に決定されてる。だが人々は、それを予め自覚することによつて、来るべき災難を未然に防ぎ、大厄を小厄にし、幸運のチヤンスを捉へ、すべてに於て将来を賢明に用意し得る」と。それからして演繹し、彼等一流の運命開拓法を説くのである。「君の…