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夜釣
よづり |
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作品ID | 46566 |
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著者 | 泉 鏡花 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「集成 日本の釣り文学 第九巻 釣り話 魚話」 作品社 1996(平成8)年10月10日 |
初出 | 「新小説」春陽堂、1911(明治44)年 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 土屋隆 |
公開 / 更新 | 2006-12-19 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 6 ページ(500字/頁で計算) |
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これは、大工、大勝のおかみさんから聞いた話である。
牛込築土前の、此の大勝棟梁のうちへ出入りをする、一寸使へる、岩次と云つて、女房持、小児の二人あるのが居た。飲む、買ふ、摶つ、道楽は少もないが、たゞ性来の釣好きであつた。
またそれだけに釣がうまい。素人にはむづかしいといふ、鰻釣の糸捌きは中でも得意で、一晩出掛けると、湿地で蚯蚓を穿るほど一かゞりにあげて来る。
「棟梁、二百目が三ぼんだ。」
大勝の台所口へのらりと投込むなぞは珍しくなかつた。
が、女房は、まだ若いのに、後生願ひで、おそろしく岩さんの殺生を気にして居た。
霜月の末頃である。一晩、陽気違ひの生暖い風が吹いて、むつと雲が蒸して、火鉢の傍だと半纏は脱ぎたいまでに、悪汗が浸むやうな、其暮方だつた。岩さんが仕事場から――行願寺内にあつた、――路次うらの長屋へ帰つて来ると、何か、ものにそゝられたやうに、頻に気の急く様子で、いつもの銭湯にも行かず、ざく/″\と茶漬で済まして、一寸友だちの許へ、と云つて家を出た。
留守には風が吹募る。戸障子ががた/\鳴る。引窓がばた/\と暗い口を開く。空模様は、その癖、星が晃々して、澄切つて居ながら、風は尋常ならず乱れて、時々むく/\と古綿を積んだ灰色の雲が湧上がる。とぽつりと降る。降るかと思ふと、颯と又暴びた風で吹払ふ。
次第に夜が更けるに従つて、何時か真暗に凄くなつた。
女房は、幾度も戸口へ立つた。路地を、行願寺の門の外までも出て、通の前後を瞰した。人通りも、もうなくなる。……釣には行つても、めつたにあけた事のない男だから、余計に気に懸けて帰りを待つのに。――小児たちが、また悪く暖いので寝苦しいか、変に二人とも寝そびれて、踏脱ぐ、泣き出す、着せかける、賺す。で、女房は一夜まんじりともせず、烏の声を聞いたさうである。
然まで案ずる事はあるまい。交際のありがちな稼業の事、途中で友だちに誘はれて、新宿あたりへぐれたのだ、と然う思へば済むのであるから。
言ふまでもなく、宵のうちは、いつもの釣りだと察して居た。内から棹なんぞ……鈎も糸も忍ばしては出なかつたが――それは女房が頻に殺生を留める処から、つい面倒さに、近所の車屋、床屋などに預けて置いて、そこから内證で支度して、道具を持つて出掛ける事も、女房が薄々知つて居たのである。
処が、一夜あけて、昼に成つても帰らない。不断そんなしだらでない岩さんだけに、女房は人一倍心配し出した。
さあ、気に成ると心配は胸へ滝の落ちるやうで、――帯引占めて夫の……といふ急き心で、昨夜待ち明した寝みだれ髪を、黄楊の鬢櫛で掻き上げながら、その大勝のうちはもとより、慌だしく、方々心当りを探し廻つた。が、何処にも居ないし、誰も知らぬ。
やがて日の暮るまで尋ねあぐんで、――夜あかしの茶飯あんかけの出る時刻――神楽坂下、あの牛込見附で、顔…