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散歩生活
さんぽせいかつ |
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作品ID | 46577 |
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著者 | 中原 中也 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「日本の名随筆 別巻32 散歩」 作品社 1993(平成5)年10月25日 |
入力者 | 土屋隆 |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2007-01-21 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 7 ページ(500字/頁で計算) |
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「女房でも貰つて、はやくシヤツキリしろよ、シヤツキリ」と、従兄みたいな奴が従弟みたいな奴に、浅草のと或るカフエーで言つてゐた。そいつらは私の卓子のぢき傍で、生ビール一杯を三十分もかけて飲んでゐた。私は御酒を飲んでゐた。好い気持であつた。話相手が欲しくもある一方、ゐないこそよいのでもあつた。
其処を出ると、月がよかつた。電車や人や店屋の上を、雲に這入つたり出たりして、涼しさうに、お月様は流れてゐた。そよ風が吹いて来ると、私は胸一杯呼吸するのであつた。「なるほどなア、シヤツキリしろよ、シヤツキリ――かア」
私も女房に別れてより茲に五年、また欲しくなることもあるが、しかし女房がゐれば、こんなに呑気に暮すことは六ヶ敷からうと思ふと、優柔不断になつてしまふ。
それから銀座で、また少し飲んで、ドロンとした目付をして、夜店の前を歩いて行つた。四角い建物の上を月は、やつぱり人間の仲間のやうに流れてゐた。
初夏なんだ。みんな着物が軽くなつたので、心まで軽くなつてゐる。テカ/\した靴屋の店や、ヤケに澄ました洋品店や、玩具屋や、男性美や、――なんで此の世が忘らりよか。
「やア――」といつて私はお辞儀をした。日本が好きで遥々独乙から、やつて来てペン画を描いてる、フリードリッヒ・グライルといふのがやつて来たからだ。
「イカガーデス」にこ/\してゐる。顳をキリモミにしてゐる。今日は綺麗な洋服を着てゐる。ステツキを持つてる。
「たびたびどうも、複製をお送り下すつて難有う」
「地霊…………アスタ・ニールズン」彼はニールズンを好きで、数枚その肖顔を描いてる男である。私の顔をジロ/\みながら、一緒に散歩したものか、どうかと考へてゐる。彼も淋しさうである。沁むやうに笑つてゐる。
「アスタ・ニールズン!」
私一人の住居のある、西荻窪に来てみると、まるで店灯がトラホームのやうに見える。水菓子屋が鼻風邪でも引いたやうに見える。入口の暗いカフヱーの、中から唄が聞こえてゐる。それからもう直ぐ畑道だ、蛙が鳴いてゐる。ゴーツと鳴つて、電車がトラホームのやうに走つてゆく。月は高く、やつぱり流れてゐる。
暗い玄関に這入ると、夕刊がパシヤリと落ちてゐる。それを拾ひ上げると、その下から葉書が出て来た。
その後御無沙汰。一昨日可なりひどい胃ケイレンをやつて以来、お酒は止めです。試験の成績が分りました。予想通り二科目落第。云々。
静かな夜である。誰ももう通らない。――女と男が話しながらやつて来る。めうにクン/\云つてゐる。女事務員と腰弁くらゐの所だ。勿論恋仲だ。シヤツキリはしてゐねえ。私の家が道の角にあるものだから、私の家の傍では歩調をゆるめて通つてゐる。
何にも聞きとれない。恐らく御当人達にも聞こえ合つてはゐない。クンクン云つてゐる。
夢みるだの、イマジネーションだの、諷刺だのアレゴリーだのと…