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ガルスワーシーの家
ガルスワーシーのいえ
作品ID46941
著者岡本 かの子
文字遣い新字新仮名
底本 「岡本かの子全集2」 ちくま文庫、筑摩書房
1994(平成6)年2月24日
初出「行動」1934(昭和9)年7月号
入力者門田裕志
校正者オサムラヒロ
公開 / 更新2008-11-05 / 2014-09-21
長さの目安約 19 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 ロンドン市の北郊ハムステットの丘には春も秋もよく太陽が照り渡った。此の殆んど何里四方小丘の起伏する自然公園は青く椀状にくねってロンドン市の北端を抱き取って居る。丘の表面には萱、えにしだ、野薔薇などが豊かに生い茂り、緻密な色彩を交ぜ奇矯な枝振りを這わせて丘の隅々までも丹念な絵と素朴な詩とを織り込んで居る。景子のロンドンに於ける仮寓は此の丘の中に在った。
 中秋の或る快晴の日の午後、景子は友人の某大学英文科の助教授宮坂を案内して彼がしきりに逢いたがって居た此の国の文学者ジョン・ガルスワーシー邸を訪ねて行った。
 友人の宮坂は多年の念願が成就する喜びに顔を輝かし丘の小径を靴で強く踏みしめながら稚純な勇んだ足どりで先に立って歩いた。ロンドンで曾つて有名だった老女優の隠退後の邸宅が先ず行手に在る。其の黒く塗られた板塀について曲るとだらだら坂になり、丘の上のメリー皇后の慈善産院の門前へ出た。此処で景子達は一寸立止まって足を休めた。それから鬱蒼として茂る常磐樹の並木を抜けると眼前が急に明るく開けてロンドン市の端ずれを感ぜしめるコンクリートの広い道路が現われる。道路の向う側には市の公園課の設けた細長い瀟洒とした花園が瞳をみはらせる。此の花園は春から夏にかけて、陽に光る逞ましいにわとこや、細まかく鋭いおうちの若葉が茂る間にライラックの薄紫の花が漾い、金鎖草の花房が丈高い樹枝に溢れて隣接地帯の白石池から吹き上げる微風にまばゆいばかり金色が揺らめいて居た。今は秋なので紅白、黄紫のダリヤが星のように咲き静まって居る。低い石柱に鉄の鎖を張った外廓に添って其の花園のはずれまで歩くと市街建築の取り付きである二階造りの石灰を塗った古ぼけて小さな乾物屋が在る。其の角を二人は右に切って静かに落ち付いたヴィクトリヤ女王朝前に建てられたという三階建ての家々が立ち並ぶ横丁を歩いて行った。二ツ目の辻の右の角は赤煉瓦の塀で取り囲まれた一劃となって、其の塀越しにすっきりと眼もさめるような白堊の軍艦が浮んで見える。軍艦と見えたのは実は軍艦風に建てられた家屋だ。以前景子は家主と連れ立って此処へ初めて来た時、此の軍艦形の建物を発見して子供のように喜んだものだった。其の時家主は景子に話して聞かせた。此の家は、暫らく前に死んだ或る海軍大将の家で、アドミラルハウスと呼ばれて居る。其の大将は退役後此の軍艦形の家を造って毎日屋上の司令塔に昇り昔の海上生活を偲んだという話だった。景子は此の話を宮坂にしながら塀に沿って進むと道は頑固な丈の高い鉄柵に突き当り左へ屈曲する。其処で景子は其の鉄柵の中の別荘風の建物を指して之れがガルスワーシーの家だと宮坂に告げた。彼は少しうろたえ気味に停ち止まって暫く門内を眺めて居たが其の家の何んとなく取り付き難い気配いに幾分当惑の色を浮べた。
 此の家は道路に面して鉄柵を張った前庭を置き暗褐色の…

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