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お伽草子の一考察
おとぎぞうしのいちこうさつ
作品ID46944
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 1」 中央公論社
1995(平成7)年2月10日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2007-11-18 / 2014-09-21
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

室町時代の末に出来たと思はれる職人歌合せの中、勧進聖訓職人歌合せといふのがあつて「絵解き」の姿が画かれてゐる。琵琶を片手に箱を担ひ、地獄極楽の絵を懸けて、それを地搗きの棒の様なもので説明してゐる姿である。三十二番歌合せの第一番に出て来るのも此で、片手では琵琶を弾じ、片手では雉の羽の著いた棒で説明してゐる。「絵をかたり琵琶を弾きて」と註したのを見ても、絵の説明を節付けでした事が訣る。
室町時代の文学は、一体に唱導的なものが多いが、此絵解きも無論、その一つである。其文句は伝はらないが、恐らく、極つた文句を語つたのに違ひない。此が徳川時代になると、熊野勧進比丘尼、――普通歌比丘尼と称せられるものになる。此比丘尼は、紀州の日前宮の信仰と、其に関係が深くて、後には一緒になつて了うた伊勢の大神の信仰とを、弘通して歩いたので、熊野に参籠し、伊勢に参詣して、牛王宝印の札を配る傍、絵解きをしてゐた。歌比丘尼のもとの形が絵解きなのである。絵解きが元となつて勧進聖が現れ、更に変つてかうした勧進比丘尼となつたことが訣る。そして勧進比丘尼はつひに遊女の如き生活をするものに堕ちた。こんな職業が、男から女に移るのは自然の行き方で、「一代男」などでは釜祓へが女の姿で現れてゐるが、これも元は男なのである。
相の山も此一種で、簓を持つて門附けをして歩いた。上方唄にも其文句は残つてゐるが、行基が作つて相の山で謡はせたといふ伝へがある。此も男がするのが本態である。伊勢の相の山にお杉・お玉の二人がゐて、客の投げる銭を面で受けとめたといふのは、民間の門附けと共に却つて潰れた形なのである。相の山はまた伊勢の川崎音頭の源流でもあり、おなじく古い伊勢踊りも、こゝに胚胎してゐる。相の山にも古くは必、絵解きがあつたに相違なく、それから比丘尼も出て、相の山ともなつたものであらう。だから、もと相の山が男であつたのも訣るのである。
室町時代の初期から徳川時代の初期にかけて行はれたお伽草子と、かうした歌比丘尼の為事との相違は、文字に書き現されてゐるかゐないかといふだけで、どちらも地獄極楽を説き、懺悔の物語をしてゐる点は、同じである。お伽草子のすべてとは言へぬにしても、その一方面には確かに歌比丘尼の語りごとに代ふるに文字を以てしたところがある。
お伽草子の中に、名高い七人比丘尼の話がある。懺悔物語とも言はれてゐる。此話は、三人法師の話を模倣したのだと称せられてゐるけれども、真偽のほどは訣らない。懺悔を喧しく唱へるのは、天台の特色だつたらしいが、歌の方面でも一つの形式になつてゐた。古い小唄にも何々懺悔といふのが見える。七人比丘尼の話は、女が一生の懺悔話をするので、其は宛も仏の前でする心持ちで人の前に発表したのである。「一代男」の歌なども、上方唄の色香から採つたらしく、やはり懺悔の一種なのである。此歌なども突然現れたものでは…

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