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![]() じょけいしのはっせい |
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作品ID | 46953 |
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著者 | 折口 信夫 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「折口信夫全集 1」 中央公論社 1995(平成7)年2月10日 |
初出 | 「太陽 第三二巻第八号」1926(大正15)年6月 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 仙酔ゑびす |
公開 / 更新 | 2007-10-08 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 42 ページ(500字/頁で計算) |
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一
私の此短い論文は、日本人の自然美観の発生から、ある固定を示す時期までを、とり扱ふのであるから、自然同行の諸前輩の文章の序説とも、概論ともなる順序である。其等大方の中には、全く私と考へ方を異にしてゐられる向きもあることは、書かない前から知れて居る。其だけ、此話は私に即して居る。私一人でまだ他人の異見を聴いてもない考へなのである。が、是非私の考へ方の様に、文学意識なり、民族精神の展開の順序なりを置き換へて貰はねば、訣らない部分が、古代は勿論、近代の自然美観のうへにも出て来ることゝ信じる。
国民性を論ずる人が、発生的の見地に立たない為、人の世はじまつてから直ぐに、今のまゝの国民性が出来あがつてゐた、と思はれて居る。江戸の犬儒や、鍛錬主義者の合理化を経た士道・武士道が、そつくり戦国どころか、源平頃の武家にも、其精神の内容として見ることが出来る、といふ風に思はれ勝ちである。もつと溯つて「額に矢は立つとも背に矢は負はじ」と御褒めにあづかつた、奈良朝の吾妻の国の生蛮を多く含む東人の全精神を士道そのものとし、更に古く「みつ/\し久米の子ら」と其獰猛を謡はれた久米部の軍人などの内界からも、物のあはれ知る心を探り出させるのである。
これは、研究法はよくても、態度に間違ひがあるからだ。日本の唯今までの辞書や註釈書が、どの時代に通じても数個の意義に共通し、其用語例の間を浮動して居るもの、と見て居るやり口に酷似して居る。此言語解釈法が根柢から謬つて居る如く、誤りを等しくして居る思想史や、文明史は、変つた考へ方から、すつかり時代の置き換へをして見ねばならない。定見家や、俗衆のためには、自己讃美あれ。当来の学徒にとつては、正しい歴史的内省がなければならぬと思ふ。私はわれ/\の祖先がまだ国家意識を深く持たなかつたと思はれる飛鳥の都以前の邑落生活の俤を濃く現して見て、懐しい祖先のいとほしい粗野な生活を見瞻らなければならぬ。
二
佐韋川よ 霧立ちわたり、畝傍山 木の葉さやぎぬ。風吹かむとす(いすけより媛――記)
畝傍山 昼は雲と居、夕来れば、風吹かむとぞ 木の葉さやげる
文献のまゝを信じてよければ、開国第一・第二の天皇の頃にも、既にかうした描写能力――寧、人間の対立物なる自然を静かに心に持ち湛へて居ることの出来たのに驚かねばならない。たとひ、此が継子の皇子の異図を諷したものと言ふ本文の見解を、其儘にうけとつても、観照態度が確立して居なければ、此隠喩を含んだ叙景詩の姿の出来るはずはないと思ふ。論より証拠、其後、遥かに降つた時代の物と言ふ、仁徳天皇が吉備のくろ媛にうたひかけられた歌
山料地に蒔ける菘菜も 吉備びとゝ共にしつめば、愉しくもあるか(仁徳天皇――記)
の出て来るまでは、叙景にも、自然描写にも、外界に目を向けた歌を見出すことが出来ないばかりか、歌の詞すら却つて…