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短歌本質成立の時代
たんかほんしつせいりつのじだい
作品ID46955
副題万葉集以後の歌風の見わたし
まんようしゅういごのかふうのみわたし
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 1」 中央公論社
1995(平成7)年2月10日
初出「『万葉以後』解説」1926(大正15)年12月
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2007-06-29 / 2014-09-21
長さの目安約 58 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     一 短歌の創作まで

短歌の形式の固定したのは、さまで久しい「万葉集以前」ではなかつた。飛鳥末から藤原へかけての時代が、実の処此古めいた五句、出入り三十音の律語を意識にのぼせる為の陣痛期になつたのである。
囃し乱めの還し文句の「ながめ」方が、二聯半に結著したのも此頃であつた。さうして次第に、其本歌なる長篇にとつて替る歩みが目だつて来た。記・紀、殊に日本紀、並びに万葉の古い姿を遺した巻々には、其模様が手にとる如く見られるのである。かうした時勢は、宮廷の儀礼古詞なる大歌(宮廷詩)にも投影した。伝承を固執する宮廷詩も、おのれから短篇化して行つた。さうして民間に威勢のよかつた短歌の形が、其機運に乗り込んで来た。
かうして謡ひ物としての独立性を認められた短歌は、其自体の中に、本歌及び、助歌反乱の末歌の二部を考へ出して、ながめ謡ひを以て、間を合せた。「57・57・7」から「57・5・77」へ、それから早くも、平安京以前に「575・77」に詠み感ぜられる形さへ出て来たのは、此為であつた。
第二聯の5の句が、第一聯の結びと、第二聯の起しとに繰り返された声楽上の意識が、音脚の上に現れて、句法・発想法を変化させて行つた。くり返しや、挿入の囃し詞は自由に使はれても、主要な休止の意識は「575・577」の形を採らせた。此には、一つ前の民謡の型として、尚勢力を持ち続けて居た結集唱歌出身の旋頭歌の口拍子が、さうした第三句游離の形と発想とを誘うたのである。それが更に、短歌分化の根本律たる末句反乱の癖の再現した為に、最後に添加せられた7の囃し乱めの力がはたらきかけて「575・777」と言つた諷誦様式を立てさせた。而も最後の一句は、百の九十九まで内容の展開に関係のない類音のくり返しであつた。
歌が記録せられる様になるに連れて、此即興的な反覆表現はきり棄てられて、完全に「575・77」の音脚が感ぜられる様になつて来る。かうなつて来ると、声楽の上では、旋頭歌と短歌との区劃が明らかでなくなる。さうして、尚行はれてゐる短歌の古い諷誦法「57・5・77」型の口拍子が、却つて旋頭歌の上に移つて来て「57・7・57・7」又は「57・7・577」或は「57・75・77」となり、遂には「5・77・577」と言つた句法まで出来て行つた。
短歌が、声楽から解放せられて、創作物となり、文学意識を展いて行つたのは、亦声楽のお蔭であつた。私は此分離の原因の表面に出たものを「宴遊即事」にあると見てゐる。新室の宴及び、旅にあつての仮廬祝ぎから出て来た「矚目吟詠」は、次第に叙景詩を分化して来た。列座具通の幽愁の諷誦が、既に意識せられて居た抒情発想の烈しさを静め、普遍の誇張から、自己の観照に向はせて居た。其処へ、支那宮廷の宴遊の方式と共に、厳り立てた園池・帝徳頌讃の文辞が入りこんで来たのだ。文化生活の第一条件は、宮廷…

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