えあ草紙・青空図書館 - 作品カード
楽天Kobo表紙検索
女房文学から隠者文学へ
にょうぼうぶんがくからいんじゃぶんがくへ |
|
作品ID | 46958 |
---|---|
副題 | 後期王朝文学史 こうきおうちょうぶんがくし |
著者 | 折口 信夫 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「折口信夫全集 1」 中央公論社 1995(平成7)年2月10日 |
初出 | 「隠岐本新古今和歌集」1927(昭和2)年9月 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 仙酔ゑびす |
公開 / 更新 | 2007-07-21 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 70 ページ(500字/頁で計算) |
広告
広告
一 女房歌合せ
数ある歌合せのうちに、時々、左の一の座其他に、女房とばかり名告つた読人が据ゑられてゐる。禁裡・仙洞などで催されたものなら、匿名の主は、代々の尊貴にわたらせられる事は言ふまでもない。公家・長上の家で興行せられた番の巻物なら、其処の亭主の君の作物なる事を示してゐるのである。此は、後鳥羽院にはじまつた事ではなかつた。かうした朗らかな戯れも、此発想競技と、女房との間に絡んだ幾代の歴史を踏まへて、極めて自然に現れて来たのである。
私は、此文の書き出しに、都合のよい機会に行きあうた様だ。文学史に向けて持つて来た、私の研究の立ちどの、知つて置いていたゞけさうなよい事情になつて来たことである。現在ある様式や、考へ方は、幾度幾様とも知れぬ固定や、其から救ひ出した合理化の力を受けて来たのだ。宮廷は勿論、上流公家の家庭生活の要件として、曾ては生きてゐた儀礼が、固定を重ねつゝ伝承せられて来た。女房と歌合せとの関係も、そこにあるのだ。
大きな氏族或は邑落では、主長の希望や命令を述べた口頭文章が、公式には、段々複雑な手順を経て伝達せられる様になつた。が、非公式に出るものは、家あるじの側に侍る高級官女――巫女の資格を以て奉仕した――に口授せられたものが、其文句の受けてに其まゝ伝達せられたのである。宮廷の内侍宣など云ふ勅書は、此しきたりから生れたのだ。「上の女房」と言はれたものは、言ふまでもなく、宮廷の官女はすべて、前期王朝には、神の摂政たる主上に仕へる巫女であつた。宮廷と生活様式を略一つにした氏族の長上――後期王朝の古い家筋の公家は、其が官吏化したもの――も、古代には、邑落や、民団の主長としての――神となれる――資格を持つた。其に伴つて、氏族の巫女を使うて、さうした用をさせてゐた事は察せられる。「宣旨」と言ふ女房名の、広く公家にも行はれたのは、此因縁である。手続きの簡単な宣が、文書の形を採つたのは、公式の宣命・詔旨などの様式の整備せられたのに連れて、起つた事らしい。
此が、平安の女房中心の宮廷文学を生む、本筋の原因でもあつた。今は此以上、女房の文学・仮名記録を説いてゐる事は出来ない。唯、其相聞贈答の短歌を中心に、多少律文学の歴史に言ひ及すことは、免されて居る、と思うてもよさ相である。其に、当面の問題なる女房の「歌合せ」に絡んだ点を言ふ事は、勿論許されてゐることにしておきたい。
宮廷の女房は、主上仰せ出しの文章を、筆録して伝達することが、伝来の役儀である。さすれば、御製の詞章は女房が筆録し、ある人々に諷誦して聞かせ、後々は段々、整理保存する様になつた事は、考へてさし支へはない。主上の作物ながら、女房の手で発表せられるのだから、仮り名として、無名の女房を装はれる様になるのは、自然な道筋である。
歌合せの、刺戟となつた点だけから見れば、在り来りの聯句・闘詩起原説は、…