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札幌
さっぽろ |
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作品ID | 4696 |
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著者 | 石川 啄木 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「石川啄木作品集 第三巻」 昭和出版社 |
入力者 | Nana ohbe |
校正者 | 林幸雄 |
公開 / 更新 | 2003-11-08 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 20 ページ(500字/頁で計算) |
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半生を放浪の間に送つて來た私には、折にふれてしみじみ思出される土地の多い中に、札幌の二週間ほど、慌しい樣な懷しい記憶を私の心に殘した土地は無い。あの大きい田舍町めいた、道幅の廣い物靜かな、木立の多い洋風擬ひの家屋の離れ/″\に列んだ――そして甚[#挿絵]大きい建物も見涯のつかぬ大空に壓しつけられてゐる樣な石狩平原の中央の都の光景は、やゝもすると私の目に浮んで來て、優しい伯母かなんぞの樣に心を牽引ける。一年なり、二年なり、何時かは行つて住んで見たい樣に思ふ。
私が初めて札幌に行つたのは明治四十年の秋風の立初めた頃である。――それまで私は凾館に足を留めてゐたのだが、人も知つてゐるその年八月二十五日の晩の大火に會つて、幸ひ類燒は免れたが、出てゐた新聞社が丸燒になつて、急には立ちさうにもない。何しろ、北海道へ渡つて漸々四ヶ月、内地(と彼地ではいふ)から家族を呼寄せて家を持つた許りの事で、土地に深い親みは無し、私も困つて了つた。其處へ道廳に勤めてゐる友人の立見君が公用旁々見舞に來て呉れたので、早速履歴書を書いて頼んで遣り、二三度手紙や電報の往復があつて、私は札幌の××新聞に行く事に決つた。條件は餘り宜くなかつたが、此際だから腰掛の積りで入つたがよからうと友人からも言つて來た。
私は少し許りの疊建具を他に讓る事にして旅費を調へた。その時は、凾館を發つ汽車汽船が便毎に「燒出され」の人々を滿載してゐた頃で、其等の者が續々入込んだ爲に、札幌にも小樽にも既う一軒の貸家も無いといふ噂もあり、且は又、先方へ行つて直ぐ家を持つだけの餘裕も無しするから、家族は私の後から一先づ小樽にゐた姉の許へ引上げる事にした。
九月十何日かであつた。降り續いた火事後の雨が霽ると、傳染病發生の噂と共に底冷のする秋風が立つて、家を失ひ、職を失つた何萬の人は、言ひ難き物の哀れを一樣に味つてゐた。市街の大半を占めてゐる燒跡には、假屋建ての鑿の音が急がしく響き合つて、まだ何處となく物の燻る臭氣の殘つてゐる空氣に新らしい木の香が流れてゐた。數少ない友人に送られて、私は一人夜汽車に乘つた。
翌曉小樽に着く迄は、腰下す席もない混雜で、私は一晩車室の隅に立ち明した。小樽で下車して、姉の家で朝飯を喫め、三時間許りも假寢をしてからまた車中の人となつた。車輪を洗ふ許りに涵々と波の寄せてゐる神威古潭の海岸を過ぎると、錢凾驛に着く。汽車はそれから眞直に石狩の平原に進んだ。
未見の境を旅するといふ感じは、犇々と私の胸に迫つて來た。空は低く曇つてゐた。目を遮ぎる物もない曠野の處々には人家の屋根が見える。名も知らぬ灌木の叢生した箇處がある。沼地がある――其處には蘆荻の風に騷ぐ状が見られた。不圖、二町とは離れぬ小溝の縁の畔路を、赤毛の犬を伴れた男が行く。犬が不意に驅け出した。男は膝まづいた。その前に白い煙がパッと立つた――獵…