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![]() まんようしゅうのかいだい |
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作品ID | 46963 |
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著者 | 折口 信夫 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「折口信夫全集 1」 中央公論社 1995(平成7)年2月10日 |
初出 | 「万葉集十回講座講演」1926(大正15)年5月 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 仙酔ゑびす |
公開 / 更新 | 2007-07-21 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 22 ページ(500字/頁で計算) |
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一
まづ万葉集の歌が如何にしてあらはれて来たか、更に日本の歌がどういふ処から生れて来たか、といふこと即、万葉集に到る日本の歌の文学史を述べ、万葉集の書物の歴史を述べたいと思ふ。
すべて文学は、文明の世になると、芸術的衝動から作られるものであるが、昔はさうした欲望がなかつた。だから、其時代に、如何にして歌が出来たかをまづ考へねばならぬ。
日本に歌の出来た始めは、文学の目的の為に生れたものではない。すぐに人が考へる事は、歌は男女牽引の具として生れて来たと考へ易いことであるが、其は大きな間違ひで、鳥が高声をはりあげたりするのとは違ふ。なる程、此要求はあるには違ひないが、此説の全部を其原因に採ることは、あまりに幼稚な見方である。文学がある点まで発育して後にこそ、此手段に利用せられることはある。此立ち場から異つた方面を話して見たいと思ふ。
外国に於ても、やはり同じ発生の径路を取つて居るが、日本では更に著しく其跡が見え、古い書物に其痕跡がはつきり遺つて居る。万葉集の様な可なり文明の進んだ時代の歌集に於ても、其跡がはつきり見える。
私は文学の発生より説き、其証拠を総て万葉集に求めつゝ、日本の歌を考へて見よう。さうすれば同時に、日本の歌の発生的順序がわかると思ふ。
万葉集は、巻の順序は年代になつてゐないが、十七・十八・十九・二十の四巻は、年代がずつと新らしい。中でも二十巻の歌は最新しいと考へる。先づ其処までに到る迄の日本の歌の発生する歴史を、万葉集によつて述べて見よう。さうすると、正当な万葉集の年代順が附く訣である。
文章が散文であるのは、新しい。始めは、韻文或は律文である。日本では律文と言ふ方が正しい。日本文学の古い時代には、律文が唯一の文学で、散文は後に生れたものである。奈良朝も頂上に到つた頃に散文が現れて居るが、十分の発育はせず、純粋の散文は平安朝になつてやつと発達した。平安朝の文学史は散文の文学史で、奈良朝から以前の文学史は律文の文学史である。だから、律文の文学史――万葉集の歌の出来た順序に就ての解説は当然、奈良朝までの日本古代の完全な文学史になるのである。
文学であると言ふ以上、永久性がなければならぬ。文学は即座に消えるものではない。処が不都合な事は、昔は文字がなかつた。尠くとも、日本文学の発生当初に於ては、文字は無かつた。文字の無かつた時代の文学は、普通の話と同じ様に口頭の文章によつて伝へられてゐた。つまり今言ふ童謡・民謡の如き文章、而もたゞ、口頭の文章と言うても、人の記憶に止まらぬ文章は永久性がない。永久性のある文は、韻文・律文でなければならぬ。散文の文学が、文字のない時代に永久性をもつて居たと考へるのは間違ひである。
其次に、律文であつても、遺らねばならぬものと、遺る価値の無いものとがある。つまり、其村々・国々の生活の中心になつて居る年中行事とし…