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赤痢
せきり
作品ID4697
著者石川 啄木
文字遣い旧字旧仮名
底本 「石川啄木作品集 第三巻」 昭和出版社
初出「スバル 創刊号」1909(明治42)年1月1日
入力者Nana ohbe
校正者林幸雄
公開 / 更新2003-11-10 / 2014-09-18
長さの目安約 31 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 凹凸の石高路 その往還を左右から挾んだ低い茅葺屋根が、凡そ六七十もあらう。何の家も、何の家も、古びて、穢なくて、壁が落ちて、柱が歪んで、隣々に倒り合つて辛々支へてる樣に見える。家の中には生木の薪を焚く煙が、物の置所も分明ならぬ程に燻つて、それが、日一日破風と誘ひ合つては、腐れた屋根に這つてゐる。兩側の狹い淺い溝には、襤褸片や葫蘿蔔の切端などがユラユラした涅泥に沈んで、黝黒い水に毒茸の樣な濁つた泡が、ブク/\浮んで流れた。
 駐在所の髯面の巡査、隣村から應援に來た今一人の背のヒョロ高い巡査、三里許りの停車場所在地に開業してゐる古洋服の醫師、赤焦けた黒繻子の袋袴を穿いた役場の助役、消毒具を携へた二人の使丁、この人數は、今日も亦家毎に強行診斷を行つて歩いた。空は、仰げば目も眩む程無際限に澄み切つて、塵一片飛ばぬ日和であるが、稀に室外を歩いてるものは、何れも何れも申合せた樣に、心配氣な、浮ばない顏色をして、跫音を偸んでる樣だ。其家にも、此家にも、怖し氣な面構をした農夫や、アイヌ系統によくある、鼻の低い、眼の濁つた、青脹れた女などが門口に出で、落着の無い不恰好な腰附をして、往還の上下を眺めてゐるが、一人として長く立つてるものは無い。子供等さへ高い聲も立てない。時偶胸に錐でも刺された樣な赤兒の悲鳴でも聞えると、隣近所では妙に顏を顰める。素知らぬ態をしてるのは、干からびた鹽鱒の頭を引擦つて行く地種の痩犬、百年も千年も眠つてゐた樣な張合のない顏をして、日向で欠伸をしてゐる眞黒な猫、往還の中央で媾んでゐる[#挿絵]くらゐなもの。村中濕りかへつて巡査の靴音と佩劍の響が、日一日、人々の心に言ひ難き不安を傳へた。
 鼻を刺す石炭酸の臭氣が、何處となく底冷えのする空氣に混じて、家々の軒下には夥しく石灰が撒きかけてある。――赤痢病の襲來を被つた山間の荒村の、重い恐怖と心痛に充ち滿ちた、目もあてられぬ、そして、不愉快な状態は、一度その境を實見したんで無ければ、迚も想像も及ぶまい。平常から、住民の衣、食、住――その生活全體を根本から改めさせるか、でなくば、初發患者の出た時、時を移さず全村を燒いて了ふかするで無ければ、如何に力を盡したとて豫防も糞も有つたものでない。三四年前、この村から十里許り隔つた或村に同じ疫が猖獗を極めた時、所轄警察署の當時の署長が、大英斷を以て全村の交通遮斷を行つた事がある。お蔭で他村には傳播しなかつたが、住民の約四分の一が一秋の中に死んだ。尤も、年々何の村でも一人や二人、五人六人の患者の無い年はないが、巧に隱蔽して置いて※牛兒[#「特のへん+尨」、U+727B、127-上-12]の煎藥でも服ませると、何時しか癒つて、格別傳染もしない。それが、萬一醫師にかゝつて隔離病舍に收容され、巡査が家毎に呶鳴つて歩くとなると、噂の擴がると共に疫が忽ち村中に流行して來る――と、實際…

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