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古語復活論
こごふっかつろん
作品ID47185
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 12」 中央公論社
1996(平成8)年3月25日
初出「アララギ 第十巻第二号」1917(大正6)年2月
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2008-08-28 / 2014-09-21
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

記紀の死語・万葉の古語を復活させて、其に新なる生命を託しようとする、我々の努力を目して、骨董趣味・憬古癖とよりほかに考へることの出来ない人が、まだ/\随分とあるやうである。最近には、御歌所派の頭目井上通泰氏が、われ/\一派に向うて、暗に攻撃的の態度を示してゐる。これは偶、安易な表現・不透明な観照・散文的な生活に満足してゐる、桂園派の欠陥を曝け出してゐるので、歴史的に存在の価値を失うてゐる人々の、無理会な放言に対して、今更らしく弁難の労をとらうとは思はぬ。唯尠くとも、新芸術を解してゐると思はれる人々の、懐いてゐる惑ひを、開いて置かうと思ふのだ。
軽はづみで、おろそかであることを意味する常識一片の考へから見れば、古語・死語の意義を、字面通りにしか考へることの出来ないのも、無理ではない。而もさうした常識者流の多いのには、実際驚く。殊にひどいのは、自身所謂古語・死語を使ひ乍ら、われ/\一派の用語や、表現法を攻撃する無反省な輩である。
われ/\は敢へて、古語・死語復活に努めてゐる者なることを明言して憚らない。かういふわたしの語は、決して反語や皮肉ではない。我々の国語は、漢字の伝来の為に、どれだけ言語の怠惰性能を逞しうしてゐたか知れない程で、決して順当の発達を遂げて来たものではないのである。この千幾年来の闖入者が、どれだけ国語の自然的発達を妨げたかといふことは、実際文法家・国語学者の概算以上である。漢字の勢力がまだわれ/\の発想法の骨髄まで沁み込んでゐなかつた、平安朝の語彙を見ても、われ/\の祖先が、どれ程緻密に表現する言語を有つてゐたかは、粗雑な、概括的な発想ほかすることの出来ない、現代の用語に慣された頭からは、想像のつかない程である。かうした方面に注意を払ひ乍ら、物語類を読んで行くと、度々羨まれ、驚かれる多くの語に逢着する。更に、奈良朝に溯つて見ると、外的な支那崇拝は、頗盛んであつたに係らず、固有の発想法で、自在に分解叙述してゐる。物皆は時代を追うて発達する。唯語ばかりが、此例に洩れて、退化してゐる例は決して少くないのである。単綴・孤立の漢語は、無限に熟語を作ることは出来ても、国民の感情に有機的な吻合を為すことは出来なかつた。散文はともあれ、思想の曲折を尊ぶ律文に、固定的な漢語が、勢力を占めることの出来なかつたのは、この為である。其にも係らず、世間通用の語には、どし/\漢字の勢力が拡つて来てゐる。
さすれば、短歌に用ゐられる語は、当然愈減じて来る訣である。其で、此欠陥を埋めるには、どういふ方便に従へばよいか。之を補填するものとして、漢語・口語・新造語・古語を更に多く採り入れるといふことが、胸に浮ぶ。処が漢字・漢語は、熟語を除いては、既に述べたやうな根本の性質上、まづ今の分では、大した結果を予期することは出来ぬ。
口語は極めて有望なものであるが、此迄色々の人に試みられ…

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