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最低の古典
さいていのこてん
作品ID47187
副題――新かなづかひと漢字制限――
――しんかなづかいとかんじせいげん――
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 12」 中央公論社
1996(平成8)年3月25日
初出「毎日新聞」1946(昭和21)年11月18日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2009-05-09 / 2014-09-21
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

現代かなづかひがきまつたのはともかくめでたいことと思ふ。ただ、それについて大きな用意があるのかといふことだけをききたい。歴史かなづかひといふものは、われわれ国民、年寄りから低いところは国民学校の子供に至るまで、これを以てほこりとしてゐる最低の古典なのだから、これに代るべきものが用意せられてゐるか、或は何か与へなければならぬといふことを考へたかどうか問ひたい。
新かなづかひが出来たから、それでおしまひといふのでは、国語のまつりごとはからつぽになる。国民はみな国語を愛してゐる。役人も、もちろん国語を愛してゐることにおいては、誰にも負けるものではない。それは信じてゐる。しかしその愛を一人占めするやうな気持があつては困る。かういふ際はできるだけへりくだつた気持でことをさばいてほしいものだ。要するに、国語表現の歴史がいつぺんに飛躍する時だから、新かなづかひ実行のためには、二人や三人が命を失ふ覚悟でかからなければ何も出来ない。
日本国土のうちに一人でも原住民が生きてゐる間は、この原住民のもつ生活法などをむやみに変へてはならないことは人類の道徳である。クヮ、ヂ、ヅなどを発音する地方が相当に広く、またさういふ古い発音になれた人々が同国人のうち沢山ある以上は、これをかんたんに片づけてしまふ気になつてはならないのである。
こんどの運動は、そこに気を配つてゐるだけでも、今までの運動よりはよい。なぜ思ひきつて、こんどのやうな際に漢字全廃をやらなかつたのか。そこに私は、役人の肚のすわりを要求する。
かなづかひもどのみち純科学的には行けるものではなく、この点はみんなにぜひわかつてもらはねばならぬ。当分、この改正から利益を得る者は国民学校の子供に限られてゐる。大人は苦しい数十年を暮さねばなるまい。必ず読書文化は下つてくる。だがわれ/\はこの時だから辛抱する。一時でも早く、自由に国語自身の表現のできる時の来ることをまちこがれてゐるのであるから、どんな苦痛でも辛抱しようといふのである。
こんどの制限運動も、いつもと大同小異だが、これが漢字制限運動を後ずさりさせる元になるのであつて、片一方字典がある以上、ちよつと気のきいた文字を使つてみようといふ人間が、必ず同訓異字を選択して書き、またできるだけ字面のはなやかな、こむづかしいものを書かうとするてらひ手も少くないので、堤の一穴からこの蟻がつき崩してしまふ。
私は決して捨てばちでいふのではない。漢字はこの際全廃する勇気がないくらゐなら人心を動かさぬだけでも、ふところ手をしてゐる方がましだらう。新かなづかひ、制限漢字運動を、かうしたあらゆる不足をこらへて、しりおししようといふのは、こんどのことがうまく行つてくれれば、国民の独立した造語能力が非常にのびてくるだらうと望みをかけることが出来るからである。われわれが自分の胸の中にあること、いひ現はしたいこと…

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