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短歌様式の発生に絡んだある疑念
たんかようしきのはっせいにからんだあるぎねん
作品ID47193
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 4」 中央公論社
1995(平成7)年5月10日
初出「橄欖 第四巻第七号」1925(大正14)年7月
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2009-12-11 / 2014-09-21
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

今の世の学者が、あらゆる現象を、単純から複雑に展開してゆくものときめてかゝる考へ方は、多くの場合まちがつた結論に安住することになつてゐる。文学の場合もさうであつた。
沢村専太郎氏が、ふた昔も前に発表せられた、短歌様式の論(明治四十年頃の新小説)は、それまでの歌論の、ゆきつく処まで、ひき上してゐる。其後、友人武田祐吉も論じ、私も聊か述べたことがある。
併、考へれば、私までが、簡単な論理に低回してゐたのであつた。
あしびきの山より出づる月まつと、人には言ひて妹待つ吾を(万葉巻十二)
この歌は、おなじ万葉の、
もゝたらず山田の道を靡く藻の愛し配と語らはず別れし来れば……霊あはゞ君来ますやと……たまぼこの道来る人の亭ちとまりいかにと問はゞ答へやるたつきを知らにさにつらふ君が名言はゞ色に出でて人知りぬべみ あしびきの山より出づる月待つと人には言ひて君待つ吾を
  反歌(略する)
(巻十三)
此ふたつの歌の前後は、定めにくいし、暗合と見られぬこともない。巻十二の性質上、後の長歌に対して、やゝ後世に記録せられた、と考へてもよさゝうである上に、巻十三の長歌は、進歩した、叙事脈の抒情詩である。おそらく、ある演劇としての出発点をもつた、おなじ巻の多くの組み歌――反歌を具へた長歌――とおなじ部類にはいるはずの、民謡出の采風歌だらう、と思うてゐる。大体から見て、長歌の末が独立するわけがあつて、一種の短歌となつたものと見るのが、正しいであらう。
民謡――職業伶人の謡うたものをもこめて――から出たものとすれば、説明は簡単である。流離の音楽者に謡はれた叙事詩が残していつたかたみは、最、ものゝあはれを思ひ知らせる部分であつたらう。
粗野な村々の祖先の心は、はじめて、芸術の齎す効果に近いものを受けた。
民謡のはじまりは、さうした断片の詩にある。
かうして、荒い心も、歌で和んで来るうちに、地方々々の妥当性――地名・神名――を加へて来る。それでも、類型を脱しない、創作意識の出発点からしてない、抒情化した叙事詩にすぎないものである。それが、次第に、創作動機を刺戟して、文学の芽生えが、民謡のうちに現れて、まだ類型風でありながら、いくぶんの個性を出すようになつた。
巻十三の組み歌のうちに、さうしたものが、大部分を占めてゐる事を推断するのは、必、正しからう。是(巻十二)に短歌として扱はれたわけも、こゝにあると見るのが、ほんとうだと信じる。さうした種類の歌が、ほかにも見える。
巻二の、
石見の海都農の浦わを……いや高に山も越え来ぬ。夏草の思ひしなへてしぬぶらむ妹が門見む。靡け。この山。
  反歌(二首略する)
人麻呂の歌としての伝説を信じても、是歌が、なほ、民間に流布したものと信じることは、他の人麻呂集の歌が、民謡として行はれた、と見えるのから推しても、また、「異本の歌」や「一云」とある、異伝を考へても、…

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