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用言の発展
ようげんのはってん |
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作品ID | 47202 |
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著者 | 折口 信夫 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「折口信夫全集 12」 中央公論社 1996(平成8)年3月25日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 仙酔ゑびす |
公開 / 更新 | 2009-09-07 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 45 ページ(500字/頁で計算) |
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われ/\は常につくろふとかたゝかふとかいふ所謂延言の一種を使うて居つて何の疑をもおこさぬ。今日の発音ではつくろふもたゝかふも、みな終止形はおの韻をもつたら行長音なりか行長音なりになつてしまふのであるから疑のおこらぬのも尤である。けれども仮字づかひについて考を及してみるとどうもをかしい。なぜつくろふの ro は rofu でかたらふの ro は rafu なのか、どういふわけでまたたゝかふの ko は kafu でかこふの ko は kofu でなければならぬのか、妙な事だといふと常識はたゞちにかう応へる。
その疑は今日の発音を土台として考へるから起るので、昔はつくろふを tukuro-fu、かたらふを katara-fu と発音したからである、またたゝかふは tataka-fu、かこふは kako-fu と発音通りにうつしたのにすぎないとこたへる。けれども疑はその点ではない。形容詞や動詞をとつて考へてみると、
くや・し うらやま・し あぶなか・しい あら・し やさ・し たゝは・し
べか・し めか・し
うごか・す
さか・る こが・る まか・る
などのごとく動詞形容詞助動詞すなはち用言の将然段又はあの韻を以て終つて居る語から他の語につゞいてまた用言になつたらしいものがあるかとおもへば、一方には用言の終止段から他の語につゞいて同じく再びある用言を形づくつたらしく見えるものがある。
いつく・し いきどほろ・し
おそろ・し さも・しい
うごも・つ
おこ(<く)・す つも(<む)・る
こも・る なゆ・ぐ
などが即ちそれである。然るに、をかしい事が此処にある。それは、意味も形式も殆ど同じ語で、将然言から出たのも終止言から出たのも二つともにあることである。
よそはし=よそほし
このまし=このもし
くるはし=くるほし
よろこはし=よろこほし
きか・す=きこ・す おもは・す(敬)=おもほ・す おは・す=おほ・す
とゞろか・す=とゞろこ・す(古事記、岩戸びらきの条)
人はこれらの終止段から出たらしい語をば悉くあの韻がお(即ちう)にうつゝた音韻の転訛であるといふけれども、それでは何やら安心のならぬ所があるやうにおもふ。その不安心の点を出発地として、下のやうな推論がなりたつた。
自分のよんだ限りの少しばかりの諸先達の著書のうちには、これこそとおもはれる考がなかつた様に記憶する。大抵やはり将然段から出たものとして、よそほしとかおもほすとかは音韻の転訛であるとやうにとかれてゐる。こゝに卑見をのべるに先だつて、まづある提言をなすべき必要を認める。それは「用言の語根は体言的の意味あひをもつてゐる」といふことである。全体体言といふ名称は形式の上にあるのではあるけれど、こゝには名詞というてしまうてはしつくりとをさまらぬから、かりに意味の上にこの名称を借用した。
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