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余齢初旅
よれいはつたび
作品ID47311
副題――中支遊記――
――ちゅうしゆうき――
著者上村 松園
文字遣い新字新仮名
底本 「青眉抄・青眉抄拾遺」 講談社
1976(昭和51)年11月10日
入力者川山隆
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2008-06-03 / 2014-09-21
長さの目安約 33 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

        海を渡りて

 年々、ずいぶんあわただしい生活がつづいている。こんな生活をいつまでもつづけていてはならないとおもう。
 年中家にいて、電話がかかって来る。人がたえず訪ねてくる。ひっきりなしである、とてもめまぐるしい。その騒然雑然たるさまはとても世間の人たちには想像がつくまいとおもう。
 世間の人々は、私の生活がこんなにわずらわしいとは思っていないにちがいない。もっとおちつき払った静かな深い水底のようにすみ切った生活とでも思っているにちがいない。しかし実際はそれとおよそかけはなれた生活である。
 私は何とかしなければならないとかねがね考えていた。それはむろん健康に障るばかりではなしに心にゆとりがなくなるからである。そこでさる人のすすめに従って田舎の方へ家をつくったのであった。ここには松篁が行っている。松篁もそのことを考えたからであった。私も隠れ家のつもりでそこへ行っている。だけども仕事の手順の上から、ついそこへ行っている間がなかったりして、いかにもいそがしいこの人生の生活の桎梏から解放されて、瞑想にふけりたい、そうした念願はなおいまだ達せられないですぎて来たのであった。

 今度の支那ゆきはその意味において一切のわずらわしさがなく、そしてもしそういうものがあっても向うの人がすっかりそれをやってくれるという約束であった。かりに汽車がさる駅につくとすると、私はだまって汽車をおりればよい。出口で人ともみ合わなくともよい。汽車にのればちゃんと私の座席がそこにとってくれてある。そういったわけで一切合財何から何まで先方の人がやってくれる。私は彼地で一枚の絵もかかなくてよい。皇軍の慰問も京都で色紙をかいてもって行くことにしたので、家を出てからは何にもかかなくてもよいようになっていた。そうして約一ヵ月ほどのあいだぽかんとして、無言の旅を続ければよい。もちろん口をきいても向こうには通じないのだし、人にやってもらった方がゆきとどくわけなのであった。そうして幾年来の生活からきれいさっぱりとかけ離れた旅行をすることになったのであった。生まれてはじめての旅といっていい、私にとっては長距離の、そしてながい日数の旅であった。
 この旅行はよほど前からすすめられていたのであったが、なかなか実現が出来ずにそのままになっていたのを今度おもい切って決行することにしたのであった。

 十月二十九日の晩、たしか十時半すぎであったとおもう。京都駅から汽車にのって出発した。汽車はこれから大阪をすぎ中国筋をまっしぐらに走りつづけて、関門海峡をへて、長崎にゆき、ここから船にのった。三十日は長崎の宿に一泊して、明くる三十一日の午前十時頃に長崎丸にのりこんだのであった。

 天気は大へんよかった。船はたしか六千トンもあったかとおもう。その夜は船の中で寝て、翌日の昼頃にはもう上海へつくことになってい…

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