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中支遊記
ちゅうしゆうき
作品ID47324
著者上村 松園
文字遣い新字新仮名
底本 「青眉抄・青眉抄拾遺」 講談社
1976(昭和51)年11月10日
初出「画房随筆」錦城出版社、1942(昭和17)年12月
入力者川山隆
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2008-11-19 / 2014-09-21
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     上海にて

 仲秋まる一ヵ月の旅であった。六十有余年のこの年まで十日以上にわたる旅行はしたことのない私にとって、よく思いたったものと思う。流石にまだ船に乗っているような疲れが身体の底に残っている。頭を掠める旅の印象を追っていると、なお支那に遊んでいるのか、京都に帰っているのか錯綜として、不思議な気持を払いきれない。
 昨日の新聞に米船ハリソン号を浅瀬に追いつめて拿捕に協力したと輝かしい偉勲を伝えられている長崎丸、私が長崎から乗った往路は多分その長崎丸であったろう。十月二十九日の晩のことで、一行は京都を出発する時から、華中鉄道副総裁の田さんの夫人始め三谷十糸子など、内地をそのまま支那に移したような身のまわりであった。衣服も改まるわけでなく、食べものもずっとゆく先々で京都にいる時とあまり変らぬ日本料理がいただけたし、身体にも気持にも大した変化もなく旅を続けることが出来た。もっともおよばれもあり、いわゆる本場の豪華な支那料理を出される機会は多かったが、つねづね小食な私はほんの形ばかり箸をつけるばかりで、そのため迷惑を感じるようなこともなかった。天気にも非常に恵まれ蘇州で少し降られただけである。こうして終始平静な旅を普段とあまり変らぬ状態で続けている気持は、日本と支那とがいかにも近く考えられるのだった。東亜共栄圏という文字が実にはっきり来るのである。
 船が揚子江を上り、上海近くなると知名の新戦場も甲板の上から指呼のうちにあるのだが、それには狎れた乗客達なのかみな近づく上海の方ばかりに気をとられている風であった。もう戦場という気持はすっかり洗い去られているのであろう。それにつけてもこれまでにした兵隊さん達のことを思わずにはいられない。これは恐らく支那を歩いている間、誰の胸をも離れない感懐だろうと思う。

     楊州にて

 娘と母親が漕ぐ画舫は五亭橋へ向っていた。朱の柱の上に五色の瓦を葺いた屋根、それに陽が映えた色彩の美事さもあることであったが、五亭橋の上にあがっての遠望は、まさに好個の山水図であった。
 楊柳をあしらった農家が五、六軒も点在したろうか。放し飼いの牛が遊んでいる。悠々たる百姓の姿が見える。いまは葉を落とした桃の木がある。
「あれが咲いている頃やあたらな」
 と、花の色を心のなかに描いて、どんなによいだろうと息をのむ。
 遠景の山には平山堂、観音堂などの堂がある。田圃には翼を悠々とうって丹頂の鶴が舞っている。澄み透るような静かな陽射し、このさまをみては武陵桃源という文字もありそうなことだと思うし、白髪の仙人が瑟をもった童児を従えている図も絵空ごととは思えない風景である。
 またしても思うのは戦争など何処でしているということである。野鳥も打たれぬ風習に狎れ、悠々と自然のなかに溶けこんでいる。これが支那の本来の姿なら、これをわれから好んで戦禍…

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