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![]() けんこうとしごと |
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作品ID | 47332 |
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著者 | 上村 松園 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「青眉抄・青眉抄拾遺」 講談社 1976(昭和51)年11月10日 |
入力者 | 川山隆 |
校正者 | 鈴木厚司 |
公開 / 更新 | 2008-04-24 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 8 ページ(500字/頁で計算) |
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昨年の五月のこと所用のため上京して私は帝国ホテルにしばらく滞在した。上京する日まで私は不眠不休で仕事に没頭していたので、ホテルに落着いてからでも絵のことが頭の中に残っていて、自分では気づかなかったが、その時はかなりの疲労を来たしていたらしいのであった。らしい……と他人の体みたいに言うほど、元来私は自分のからだについては無関心で今まで来たのである。病気を病気と思わざれば即ち病気にあらず……とでも言いますか、とにかく私は仕事のためには病気にかまってはいられなかったのである。病気のお相手をするにはあまりに忙しすぎたのであった。
そのような訳で自分の体でありながら極度の疲労を来たしている自分の体を劬ってやる暇もなく私は上京するとホテルに一夜をあかした。
朝、眠りから醒めて床を出て洗面器のねじを開こうとしたがその日はどういう加減かねじがひどく硬かった。
はてすこし硬いなと思いながら手先に力をいれてそれをひねろうとした拍子に、頭の中をつめたい風がすう……と吹きすぎた。はっと思った瞬間に背中の筋がギクッと鳴った。
「失敗った」
と私は思わず口の中で呟いたが、体はそのままふんわりと浮き上り体中から冷たい汗が滲み出るのを感じ……それっきり私の体はその場へ倒れてしまったらしいのである。
用事もそこそこにホテルを引き揚げて私は京都の家へ帰って来たが、それ以来腰が痛くてどうにもたまらなかった。朝夕薬のシップやら種々手をつくし六十日ほどしてやっと直ったが、もともと仕事に無理をして来て自分の体を劬ってやらなかった報いだと諦めたが、それからというものは体の調子がちょっとでもいけなかったり疲れたりすると、腰や背のいたみが出て来て画室の掃除や書籍の持ち運びにも大へん苦しみを感じるようになってしまった。
三月頃から展覧会の出品画制作などで無理をつづけて来て体が疲労していたことはたしかであったが、ちょっとしたはずみから体の張りがゆるみ出すということは、よほど気をつけなくてはいけないと自戒すると同時に、これしきの頑張りでこのようになるのは、やはり年のせいとでもいうのであろうかと、そのときは少々淋しい気がしないでもなかった。
親しい医者に戻るなり看て貰うと、医者はそれごらんなさいといった顔をして、
「あなたほどの年配になると、そう若い人と同じように無理は通りませんよ。三十歳には三十歳に応じた無理でなければ通りません。六十歳の人が二十代の人の無理をしようとしてもそれは無理というものですよ」
と戒められた。私はそれ以来夜分はいっさい筆を執らないことにしている。
ふりかえってみれば、私という人間はずいぶんと若い頃から体に無理をしつづけて来たものである。よくこの年まで体が保ったものだと自分で自分の体に感心することがある。
若いころ春季の出品に明皇花を賞す図で、玄宗と楊貴妃が宮苑…