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京の夏景色
きょうのなつげしき
作品ID47334
著者上村 松園
文字遣い新字新仮名
底本 「青眉抄・青眉抄拾遺」 講談社
1976(昭和51)年11月10日
初出「塔影」1939(昭和14)年8月号
入力者川山隆
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2008-11-19 / 2014-09-21
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 京都の街も古都というのはもう名ばかりで私の幼な頃と今とではまるで他処の国のように変ってしまってます。これは無理のないことで、電車が通り自動車が走りまわってあちこちに白っぽいビルデングが突立っている今になって、昔はと言っても仕様のないのは当りまえのことでしょう。加茂川にかかっている橋でも、あらかたは近代風なものに改められてしもうて、ただ三条の大橋だけが昔のままの形で残っているだけのことです。あの擬宝珠の橋とコンクリートのいかつい四条大橋とを較べて見たら時の流れというものの恐ろしい力が誰にも肯けましょう。私には三条の橋のような昔の風景がなつかしいには違いがありませんが、昔は昔今は今だと思うとります。私が五つ六つの頃結うたうしろとんぼなどという髪を結っている女の子は今は何処に行ったとて見ることは出来ないでしょう。ちか頃の女の子はみなおかっぱにして膝っきりの洋服を着ていますが、なかなか愛らしくて活溌で綺麗です。そうした女の子達を見ていると昔のつつをきゅうとしばったうしろとんぼの時代は、あれは何時のことだったのかと我れといぶかしく思うくらいなのですから。
 でも、なつかしさはなつかしさですし、昔のよさはよさ、今でもはっきりとまるで一幅の絵のように何十年か前の京都の街々のすがたを思い浮べて一人楽しんでいる時がないでもありません。
 私が十七、八の頃、夕涼みに四条大橋に行って見ると、橋の下の河の浅瀬には一面に床几が並べられ、ぼんぼりがとぼって、その灯かげが静かな河面に映って、それはそれは何とも美しいものでした。沢山の涼み客がその床几に腰をかけ扇子を使いながらお茶をすすったり、お菓子をつまんだり、またお酒を汲みかわしたりして居るのです。橋際にふじやという大きな料理屋があって河原に板橋を渡して仲居さん達がお客のおあつらえのお料理を入りかわり立ちかわり運んでゆくのです。これを橋の上から眺めているのは私だけではございませんでした。川風の涼しさ、水の中の床几やぼんぼり、ゆらゆらと小波にゆれる灯影、納涼客、仲居さんなどと、賑やかなくせに涼し気なそしてのんびりとした夏景色でございました。これは本当に昔々の思い出話なのでございます。いま四条大橋に行って見たところで決してその橋の下で、人達がそんな風にして夏の短かな夜を楽しんだなどということは夢にも考えることが出来ません。ただ、四条河原の夕涼みは都の夏の景物の代表的なものだったので絵に描かれて残っているものは相当多いようです。
 また、これも同じようなお話ではございますが、夕景に川の浅瀬の床几に腰下ろした美人が足を水につけて涼んで居るのも本当に美しいものでした。目鼻立ちの整ったすんなりした若い婦人でなくても、そうした時刻、そうした処で見受ける女姿というものはやはり清々しゅう美しく人の眼にうつるのでございました。

 夏の嬉しいものの一つに…

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